国境を越えた兄弟愛
言葉は通じないものの、4人の老人の国を越えた兄弟愛に人々は感動を覚えるだろう。知り合って14年、4人は常に互いにメールや電話をしたり、贈り物を贈り合ったりして、その思いや感謝を伝えあい、連絡を取り続けている。趙さん、朱さんと易さんは今までに2回、村石さんの招きで日本に行き、村石さんの興したスターツグループを見学し、村石さん自身も時間を作って3人と一緒に観光した。また村石さんも数回、武漢を訪れており、その度に3人で何度も江灘と堤角公園を訪れては一緒に植樹した桜を見たり、易さんの家に遊びに行ったりした。
2011年3月、日本でマグニチュード9の大地震が起き、津波が発生して福島原発の核燃料漏れの危機が生じた。武漢の3人の老人は次々と電話をかけてきて、村石さんや家族、従業員の様子を聞き、彼らが全て無事で大丈夫だったと知り、ようやく安心したという。
2011年に易さんは「桜花情結」を自費出版し、写真と文章で4人の十数年に及ぶやり取りを記録したほか、自作した動画もDVDにして配った。
武漢に来る回数が増すほど、村石さんの武漢に対する理解と感情は益々深まっていった。2008年、村石さんは武漢で初めての国際ハーフマラソン招待試合に協賛したほか、2011年にはスターツ(武漢)商務諮詢有限公司を設立し、中日民間交流に新たな橋を設けた。
ここ数年の武漢の変化について村石さんに尋ねると「武漢の国際化への発展の歩みは非常に早く、私自身も非常に驚いている。武漢の建築スピードはとても速いと感じる。特に江灘公園は以前、桜の苗を植樹する場所を選ぶのに来た時、まだ工事中だったのが、今ではもうきれいに完成している。武漢がますます発展していくことを望んでいる」と答えた。
そしてまた別れの時が来た。4人の老人は互いの健康を願いながら、握った手をなかなか放そうとしなかった。(編集TG)
「人民網日本語版」2016年3月16日