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AI時代の外国語教育とその課題〜卒業論文作成を中心として~ (3)

人民網日本語版 2018年05月03日10:11

AIには「機械学習」という手法を用い、フォーマリズムと統計分析を特徴とする記号的AI、論理的AI、正統派AI等と呼ばれる学派と「計算知能(CI、computational intelligence)」と呼ばれる数理論理学に基づく従来的な人工知能とは一線を画す学派がある。その中では多くの理論や方法論、技法やシステムがあり、これらを統合した知的システムを作る試みもなされている。

これらが卒論作成にどのような利便性を与え、影響を与えて卒業論文作成を変容させていくのか、筆者の知見の及ぶところではないが、いくつかの推察、想像を交えながら、次第にできていくという過程を予測して考えてみたい。

4.1 AIによって段階的によりできるようになると思われること。

AIが得意なことは、データを基にそれを分析したり、情報法を収集したりすることである。そこから、AIによる自動翻訳や、これまでの履修科目やその成績などのデータをもとに、論文の方向性やテーマやポイントをAIがアドバイスしたり、個々の学生の能力にあわせたフォローアップをしたりすることなどができるようになっていく。また、既にニュース記事などはAIが人に変わって書いていることからも分かるように、目的意識があれば、それに沿って自分の研究に必要な情報をデータベースから収集してくることや、論文などの型にはまった文章の作成はAIの得意分野であるので、卒論をAIに書かせることも可能になってくる。さらに、卒業論文の内容のチェックも、AIが過去の膨大な論文情報に基づいて適切なアドバイスをしてくれるようになっていくと予測される。

4.2 今後数年は人間にしかできないと思われるもの。

上記のような状況になっては、卒業論文の意義は、AIを使いこなすこととなってしまうが、そこに至るまでには恐らく10年程はかかり、少しずつ変化していくであろう。当面の間、その移行期においてAIが苦手なことを考えてみる。先ずは、目的意識を持ち、問題提起をすることである。現在のところ、AIは自ら目的意識を持って目標を設定して行動することはできない。何を求めるかという根幹は、人間が決めなければいけないのである。そして、得たデータを分析し、判断して、新たな論理で結論を導き出したり自分の論を作り展開したりすること。つまり、目的・目標・要件を定義し、卒論の枠組みを作ることである。

4.3 AIの進展に伴う外国語教育における卒業論文の在り方・意義の変容

AI時代と言ってもある年から急にAI化されるわけではなく、IT化が10年以上かけて進行し、検索エンジンや論文データベースなどのリソースの充実が図られ、現在も進化しているように、AI化もIT化の延長線上に次第に変化・進化・改良が加えられて漸進していく。AIと言っても、将来的には人間を越える知性・知能を身に着ける可能性もあるが、当面の間はAI化もIT化の時のように、AIを利用して人間自らの能力を拡張するものとして用いられることであろう。その内、論文という学術文章のフォーマットで書くことや、言語の文法や、文章の体裁などは、AI化によって補われ易いことは人間が行う重要度は下がっていく。言語それ自体も、AI翻訳のレベルの不断の向上によって重要度は今までと同じように高く置かれることは無くなっていくであろう。

そこで、AI化の進展が進む今後当面は、主体的に目的意識を持ってITやAIを利用してその答えを探し、得たデータや資料を用いて、筋道立てて自説やある物事を論じるという知的作業により焦点が加わって行くものと推察される。

5.大学の大衆化の影響、社会のニーズの変化、等から来る卒論の変化。

現在、IT化の進展と並行して、ここ十数年間、中国の大学における日本語教育では大きな変化が起きている。中国の大学における日本語専攻を有する大学の激増である。その結果、IT化を越える根本的な変化が生じてきている。中国の日本語教育の変化について、王健宜は2007年に「中国の大学の日本語専攻における問題」において、以下のように述べている。

「学習者数の規模が拡大したのに対し、「中身」つまり教育水準あるいは教育効果という「質」の部分では、様々な問題が出ている。例えば、大学での学習者数が十万人から二十万に倍増したのに対し、肝心な教える立場に立つ大学の日本語教員数は2500人から3400人へとわずか36%しか増加せず、決して倍増しているわけではない。また、学科設置の基本的条件の問題、人材育成のスタンダードの問題、教材の問題、教え方の問題、カリキュラムの問題、シラバスの問題、教案の問題、能力測定と教育効果の評価の問題等々が、日本語学習者の規模の拡大にともなう卒業生の大量放出によって浮き彫りされてきた。これらの諸問題を試行錯誤しながら徐々に解決していくのが、中国の大学における日本語教育の現状と課題ではないかと思われる。しかしながら、以上の問題は、相互に絡み合って、複雑な様相を呈しており、決して簡単に片付けられる問題ではない。」

日本語教育の現状と課題について、まとめると、先ず、小野寺健(2012)のいう「従来の日本語教育が、少数のエリートを、少数のエリートが教えると言うエリート教育の側面を有していたのに対し、現在は、大学教育が大衆化しており、これまでであれば、大学教育と無縁の者が入学し、教壇に立つ素養に欠ける者が、教鞭を取ると言った教育の希薄化が、著しく進んで」いるという状況がある。次に、日本語専攻を有する大学毎の目標の多様化があり、卒業論文だけが大学で学んだことの集大成となるわけではないという考え方も出てきている。そして、修剛・譚晶華・小野寺が共に触れている点であるが、学生のレベルはもとより、教員のレベルも含めた大学間のレベルの差が不断に拡大し、二本・三本と言われる低位の大学では、もはや学生と教員のレベルが低く日本語で論文を書くことも難であるという現実がある。


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