AI時代の外国語教育 その苦悩と模索(十一)

人民網日本語版 2019年04月11日08:30

人民網ではこのほど、「AI時代の外国語教育 その苦悩と模索」をテーマとする小野寺健氏による連載をスタート。小野寺健氏は特定非営利活動法人日中友好市民倶楽部の理事長を務めるほか、長年にわたり数多くの中国の大学で日本に関する教育指導を行い、「淮安市5.1労働栄誉賞」や「第二回野村AWARD」、「中国日語教育特別感謝賞」などを受賞しているほか、人民日報海外版では「中日友好民間大使」として紹介されている。

第十一章 むすび

AI時代の到来は、外国語教育の質的な転換を促しており、一部の先見的な幹部は、強い危機感を抱いて取り組んでいる。

そして、今回の論稿から導き出される結論は以下の3点が考えられる。

1.量から質への転換を図り、教育の希薄化を阻止して、人間味溢れる教育を実践する。

2.演習とゼミの活用により、問題解決能力の高い学生を育成する。

3.IQよりもEQを高める教育を実践して、社会と調和をした人材を送り出す。

このように外国語教育と言う範疇での生き残りを考慮すると、教養教育としてのリベラル・アーツ重視が、専門性の加味よりは、AI時代には相応しいと考える。

何故なら、専門性を高めても、直ぐに陳腐化することと、そもそも「知」とは、古代ギリシャの時代から、人生を豊かにするものであり、知が専門化や細分化されることにより、知が本来持つ豊かさが、失われてしまうからだ。

なお、他学部との競合を考えた場合、外国語教育の特性とカリキュラムを活かせるのは、演習とゼミを活用して、問題処理能力の高いゼネラリストを育成することが、時代の要請に適うことになるだろう。

「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」は、良寛の辞世の句と言われており、裏と表が不可分ではあるが、我々は裏と表を止揚することなく、一方のみを見て、実相に触れたと誤解する嫌いがあるので、強く戒めたいものだ。

ここからもAI時代の外国語教育は、その特性を活かしながら、scienceとartを融合したものが、望ましいとの結論に至った。

なお、「インセンティブ」としては、好きなことは、楽しく早く上達するので、有利不利と言った目先の打算を超えて、好きな分野を見つけることと、「ナッジ」は、アニメ・ファッション・化粧品・実用家電・日本料理・菓子・豊かな自然と伝統文化等が考えられ、教師一人一人が、専門の枠を超えて、豊かな教養と魅力溢れる人格を、磨き上げることが、強く求められるのではないだろうか。

また、六朝期風流人である陶淵明は「飲酒 其の五」でこう詠んでいる。

廬を結んで人境に在り

而も車馬の喧しき無し

君に問う何ぞ能く爾ると

心遠く地自から偏なり

菊を採る東籬の下

悠然として南山を見る

山気日夕に佳し

飛鳥相與に還る

此の中に真意有り

辨ぜんと欲して已に言を忘る(岩波文庫)

その心に思いを巡らせるならば、こうした泰然たる姿勢も、大事ではないだろうか。

拙稿を執筆するに当たっては、先学の学恩に浴したが、なかでも、「貴方に出来ること、或いは出来ると夢見ていることがあれば、今直ぐ始めなさい。向こう見ずは天才であり、力であり、魔法です。」というゲーテの言葉は、怠惰に堕ち入り勝ちな精神を鼓舞して、最終章に至る英気を養ってくれた。

またかのヘレン・ケラーも、「人生は、果敢に立ち向かう冒険である。そうでなければ何の意味もない」としている。

このように知性とは、既成の答えを暗記して、冒険を避けることではなく、色々な問題を解決する方法を学び、新たな問題や更に大きな問題を、解決する力量を養うことにあると言える。

また真の知性の本質は、失敗することに対する恐怖を克服して、果敢に学ぶ姿勢と学ぶ喜びにある。

最後に、多くの示唆と協力を頂いた南開大学王健宜教授と北京第二外国語学院津田量副教授に、この場を借りて、お礼を申し上げます。

では、この困難な状況を奇貨として、関係者の叡智を結集しつつ、更なる発展を期して、擱筆と致します。

菊花薫る候 この稿を、亡き父に捧ぐ! 燕雀荘蔵垢子  

「人民網日本語版」2019年4月11日

第十章はこちら→

  

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