宮城県で日本の被災者と苦楽を共にする中国人
2年前に発生した東日本大震災は数多くの人々の命と財産を奪った。2年後、記者は再び宮城県名取市に訪れた。一面の廃墟は今なお災害のすさまじさと残酷さを人々に思い起こさせる。
災害後の荒れ果てた家の光景はいずれも辛く苦しい物語を宿している。この地で仕事や生活をしていた中国人は、いったいどんな物語を紡んできたのだろうか?日本人の友人の紹介により、我々は名取市に訪れ、中華料理店を経営する中国人に取材を行った。
唐麗忠さん(51)は1962年、中国長春生まれ。父親は中国人、母親は中国残留孤児の日本人。30歳の時に夫、娘と共に日本にやって来た。母親の故郷から程近い仙台で生活を始め、中華料理店を開いた。10年前に仙台から程近い名取市閖上(ゆりあげ)の市場で再び中華料理店を開いた。店の手作り水餃子とキムチが人気となり、地元民がいつも行列を作って水餃子を買いに来た。父親の実家から学んだという水餃子の腕と、豪快でさっぱりとした気質も相まって「閖上水餃子」は市場の看板商品となった。