宮城県で日本の被災者と苦楽を共にする中国人 (2)
2011年3月11日に起こった東日本大震災による津波で閖上地区は完全に破壊された。約700人の生命が津波によって失われ、36年の歴史を持つ閖上の市場も休業をあえなくされた。唐麗忠さん一家と店員は災害による大きな不幸からは免れたが、災害に対しては日本人と同じく心を痛めた。地震は福島原子力発電所の事故を引き起こし、それに伴うパニックにより、多くの外国人が日本を離れた。しかし、唐麗忠さんは日本に居続けることを選択し、家族と共に難局を乗り越えた。
これまで唐麗忠さんは何度も被災者に対する募金を行ったり、助けが必要な人に援助を行ってきたりした。また同時に、他の人から多くの助けをもらった。2012年、仮設店舗「閖上さいかい市場」が建てられた。中には、唐麗忠さんの中国料理店「豊華」を含め津波の被害にあった店が臨時の仮設店に引越しをしてきて再び開業を始めた。唐麗忠さんは店に「名取がんばれ、中日友好」という横断幕を掲げた。
唐麗忠さんの大声とかなり強い東北なまりの日本語は、初めて店に来た日本人にとっては聞き慣れないものだ。しかし、唐麗忠さんの豪快で明るい性格を慕って店にやって来る客は途切れない。メニューの安さに加え、唐麗忠さんは店の客に「ちょっとしたサービス」を行っている。例えば、コーヒーやおつまみをサービスしたり、割引をしたりなどだ。常連客の中には、唐麗忠さんの親切さや活力に引かれて、友達になる人も多いという。
この日本の父子は最初は店に食べに来る単なる客だったが、今では唐麗忠さんの非常に仲がいい友人であり、店が忙しいときは、自主的に店を手伝うのだという。
苦しい時にお互いに助け合うことで、壁がなくなり、本当の友情が築かれる。多くの被災者は今なお仮設住宅の家に住んで、大変な日々を送っているが、友情と真心が多くの人の生活に、勇気と希望を与えている。(編集MZ)
「人民網日本語版」2013年4月16日