中国「80後」の無気力さ深刻 心の早期老化に警鐘
「80後(1980年代生まれ)」に突如異変が起こり。集団的な「老化」が始まっている。最初の兆候は、過去を懐かしむようになったことだ。青春映画「老男孩」のテーマ曲を口ずさみ、セーラーシャツとレザーサンダル姿の青春の夏の日をしみじみ回想し、小さい頃に夢中になった紙芝居を懐かしみ、あの頃追いかけた女の子のことを思い出す。次に、年を取った自分を嘆く。両親から見ればまだまだ子供である「80後」なのに、彼らは、自分より若い世代を比較して、「ああ、自分は年を取った」「もう若い頃の感性は戻らない。魅力的な異性が眼の前に現れても、心を奪われることもない」と感じている。人民日報が伝えた。
本来なら、人生で最も輝き、意気盛んであるべき年代である彼らが、どうしてこんなに無気力になってしまったのだろうか?
ひねくれたように聞こえる彼らのぼやきの裏には、一言では言い尽くせない青春の甘くほろ苦い思い出が満ちあふれている。彼らの生活環境や成長過程は、親の世代とは比べものにならないほど恵まれているが、同時に、時代の流れが新たな試練を彼らにもたらした。改革開放時代に大きくなった彼らは、少年時代、アニメやサイダーが与えられ、いくらやっても終わらない宿題も与えられた。親世代に比べ、人生の選択肢は広がったものの、これまでになかったし烈な競争に直面した。上の世代が経験したことのないネットワーク時代と工業文明時代に身をさらされた彼らは、都市化がもたらした孤立感やストレスを味わっている。過去に前例のない流動的な社会に足を踏み入れ、精神的な迷いや共感性の欠如を実感している。
時代の変革期に身を置く若年世代にとって、生活とは、加速し続ける「ランニングマシン」のようだ。追求する価値のある質の高い生活によって象徴される一方で、加速について行けなければ振り落とされる。さらに彼らの不安を煽り立てるのは、起きている間ずっと走っていても、どこに向かっているのかを知らずにひたすら走り続けるだけで、変わるのはランニングマシンのモニタに表示されるさまざまな計測値のみ。彼らは、このような環境において、昔を懐かしむことであれ、年を取ったと嘆くことであれ、過去の幸せな想い出に浸ることで、ストレスから身を守っているのだ。
「年を取ったと嘆く」ことが、単なる憂さ晴らしや愚痴であるなら、メンタル面での「早期老化」には、くれぐれも警戒しなければならない。「早期老化」した若い人は、「成熟」した人と見たところ良く似ている。一挙一動の全てが完璧で、人との付き合いや物事への対応にも如才なく、言葉遣い・態度ともに熟達している。だが、相手は常に、「何かが足りない」と感じてしまうのだ。