収蔵されている宝物のうち、9000点が毎年1回一般展示されており、例年見学者数は延べ20万人を数える。つまり、市民は身近に宝物と接することができ、またさまざまなメディアや教科書でも宝物のありのままの姿が紹介されている。なかでも、シルクロード渡来の精巧で美しい螺鈿紫檀五弦琵琶はよく知られている逸品である。このように、日本人は古代から伝わってきた発展モデルを代々受け継ぎ、その枠組みの中に、漢字によって表記される中国的教養を絶えず取り入れ、またそれを踏まえて現地の文化と融合し、その時々の時流に合わせて「メイド・イン・チャイナ」に対する革新も次々に生み出してきた。そこには、無形のものや、遥か遠いシルクロードへのロマンチックな想像も含まれている。例えば、日本にはこのような心理状態を反映した「九十九里浜」という地名がある。また、敗戦後、一世を風靡した流行歌『月の砂漠』や名作『敦煌』を改編した人気映画などもある。シルクロードは一貫して日本人が心に抱き続けてきた憧れなのである。
その根源について見てみると、日本文化はそれが生まれた段階からロマンと美しきものへの憧れという特色を持ち続けてきたという点が挙げられる。更に重要なのは、古来、日本の主流社会は中国の伝統的文化を尊重かつ高く評価しており、各分野におけるエリートの価値観もほとんどが古典の教えに基づいているという点だ。それを中心にした文化的枠組みは東洋と西洋の文化の衝突という大きな衝撃を何度も受けたが、今に至っても揺らぐことなく日本の上部構造を支えている。この枠組みの内容が時代の変遷に伴って変化してきたことは否定できないが、今の民主主義社会と国民意識にも依然として大きな影響を与えている。これも日本国民全体が伝統を正視し守るに足る力を持っていることの思想的根源である。
シルクロードと日本の皇室
できるだけ客観的に述べるために、2014年2月19日~4月5日にかけてパリの日本文化会館で行われた展覧会「蚕-皇室のご養蚕と古代裂,日仏絹の交流」記念文集の内容を極力引用して紹介する。この展覧会は日本の宮内庁と文化庁、国際交流基金が主催したもので、主に宮内庁と宮内庁所属機関の三の丸尚蔵館、正倉院が記念文集の解説執筆に当たった。
記念文集を開くとすぐに、「養蚕の起源は中国」との指摘がある。