直売所で農産品を買う住民
日本の大分県日田市大山町は29日、雨で街は霧に覆われていた。同町は、山や川が美しく、集落が点在しており、建っている家は中国の古代建築に似た雰囲気を漂わせている。同町は、昔から農業を中心としているが、日本、ひいては世界の「一村一品運動(地域振興運動)」の原点となったところで、「中国一裕福な村」と言われる江蘇省の「華西村」の日本版とも言われる。重慶晨報が伝えた。
元々は貧しい村
同町農業協同組合金融事業部の三笘日出喜部長が、筆者らを大歓迎してくれた。三笘部長によると、同町は、重慶の多くの農村と同じく丘陵地帯で、標高は最高で約600メートル。耕地面積は少ない。同町の人口は約2900人。一人当たりの土地の面積は約1200平方メートルで、棚田が広がる。「一村一品運動」が実施される前、同村は貧しいことで有名だった。
三笘部長によると、日本は1950年代から経済が高度成長したものの、同村はなかなか貧しさから抜け出すことができなかった。当時、村民らは生活用品を物々交換によって得ていた。育てた作物の3分の1は自分で食べ、3分の2は物々交換のために使うという、原始的な生活を村民は送っていたのだ。そのため、男性が出稼ぎに行き、高齢男性と高齢女性と主婦、すなわち「じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん」により農業が営まれる「3ちゃん農業」の状態だった。