2016年10月18日  
 

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中国語と日本語、言語の壁を乗り越えるということ

人民網日本語版 2016年10月18日10:09

ネット上では過去に「日本語を学ぶ人はお気の毒」というトピックが話題になったことがある。これは日本語を学ぶというこの後戻り不可能な道を選んでしまった自分の苦労を嘆く内容だ。例えば、「百」という数字一つとっても「二百(にひゃく)」と「三百(さんびゃく)」、「八百(はっぴゃく)」というようにその読み方が異なる上、動詞の未然形、終止形、連用形の活用などはめまいがするほど。同じように後戻り不可能な日本語を学ぶ道を選んでしまった私にとって、このトピックに挙げられているツッコミは同感することばかりだ。訪日してからの年数も少なくない私にとって「百」と「分」の読み方の違いはさすがにもう難しくないが、助詞の「は」と「が」の用法は未だに理解できていないし、毎日様々な二重敬語に接するたびにに頭を壁に打ち付けたくなるような衝動に駆られる。外国語の学習というのは、時にまるで無数に張りめぐらされた網がまとわりつくように、いくら必死に抜け出そうともがいても、どうしようもないほど苦しまされるのだ。(文:魯強。 在日華字紙・中文導報掲載)

私のある友人は北海道でテレビ局の記者をしている。彼は何年も前から中国人と日本人のメンバーからなるアイスホッケーチームを取材している。中日両国のメンバーはお互いに「文化の違い」に直面することがあるのだが、それは目に見えないものだという。テレビという媒体を通じてどのようにこうした抽象的な内容を表現すればいいのか、彼は当初非常に困ったそうだ。さんざん考えたあげく、彼は「言葉」をその切り口とすることにした。練習場や食事の席、セレモニーの会場だけでなく更衣室の中でもメンバー同士の会話を耳にすることができる。その会話には中国語あり、日本語あり、カタコトの中国語に、カタコトの日本語もあった。何年もの月日を経たことで、チームメンバーはどうやらこのような交流スタイルにすっかり慣れてしまったようで、私の友人の記者とあいさつするときは中国語と日本語をミックスして話すのだという。また、彼らを取材した番組が放送されるのを見たところ、そのチームメンバーたちが中国語と日本語、カタコトの中国語と日本語で交流しながら試合に向かう姿はなんともカッコよく、私はとても新鮮に感じた。


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