侵華日軍(中国侵略日本軍)第七三一部隊罪証陳列館はこのほど、同館の研究スタッフが、吉林省長春市農安県に住むペスト菌被害者を新たに1人発見し、調査・立証を終えたことを明らかにした。専門家は、「この被害者が自ら語った経験内容と資料は照合済みで、完璧な証拠群を構成しており、七三一部隊の罪行を暴く重要な補充資料となっている」と指摘した。新華社が伝えた。
今回ペスト菌被害者で目撃証人と立証されたのは、張耀坤さん(86)。張さんによると、1940年に農安県でペストが大流行したとき、彼はまだ8歳だった。7人家族のうち、2番目の姉と母親が前後してペストに感染して死亡した。張さんは、「当時は、伝染病が流行した原因が分らなかった。ずいぶん経ってから、当時の伝染病が、七三一部隊が農安で実施したペスト菌実験であることを知った」と話す。
張さんは、当時を振り返り、「ペストが大流行した後、日本人が私たち家族の住んでいた寄合住宅の封鎖・隔離を行い、出入りが禁止された。日本人は分厚い防護服を着用し、毎日数回、寄合住宅の住民の体温を測り、発熱が確認された人はすぐに連れていかれた。名目上は治療だったが、実際には人体実験の餌食となった。寄合住宅には20数世帯あったが、ペスト流行中に計18人が死亡した。最も小さい子供はわずか8歳だった」と話した。
史料の記録によると、1940年春、偽満州国首都の新京(吉林省長春市)と付近の農安県で、ペストが突如大流行した。農安県でのパンデミックは、1940年6月に始まり、同年11月27日に収束、計551人が発病し、471人が死亡した。このペストは、農安県の市街地から周辺農村に瞬く間に拡大、拡大持続期間が長く、広い範囲に拡大した。
日本の研究者・吉見義明と伊香俊哉の共著「日本軍の細菌戦」の中に、もと日本陸軍省医務局医事課の大塚文郎・大佐の業務日誌が引用されている。その日誌には、「農安県、田中技師以下6人が作戦実行。密偵の報告によると、極めて高い効果が得られた」という、当時すでに日本陸軍軍医学校に転勤していた石井四郎隊長による談話(1943年11月1日)の記述が見られる。
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の金成民・館長は、「これらの記載は、農安県でのぺスト大流行は、七三一部隊の石井四郎隊長の指揮によって起こされたものだと分かる。石井隊長の話に登場する『田中技師』とは、七三一部隊昆虫研究班の班長を当時勤めていた田中英雄氏のことで、彼はもっぱら、ペスト感染の媒介に関する研究に携わっていた」と説明した。
金館長は、「表面的には、農安県でのペスト流行は、自然発生したように見えるが、実際には、七三一部隊による細菌戦の初めての実戦演習だった。彼らの目的は、ペスト菌の感染力といかにして予防・コントロールを行うかを試すと同時に、その後細菌戦を行うための実践経験を積むことにあった」と続けた。
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の研究者は、「農安ペスト菌被害者かつ目撃証人として新たに発見された張さんが自ら語った経験内容と資料は照合済みで、完璧な証拠群を構成している。これは、日本からの侵略者が中国で犯した反人道的な罪行の確たる証拠であり、七三一部隊の暴行を暴く重要な補完資料でもある。七三一部隊が農安で行った最近事件という罪を否定する余地は、もはや完全になくなった」とコメントした。(編集KM)
「人民網日本語版」2018年4月23日
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