当時の日本では海外旅行が一種のブームであり、若い人も結婚すると海外へハネムーンに行くのが一般的だった。だが、海外のハネムーンには高い費用がかかり、若い人は見栄を張りたがることから、ハネムーンのために借金を背負い、ハネムーン中にけんかになる人も少なくなく、離婚に至るケースも珍しくなかった。いわゆる「成田離婚」だ。成田は成田国際空港のことで、海外から帰ってきて飛行機を降りてすぐ離婚するという意味だ。
当時の日本人海外観光客で最も高い消費力をもつのは、なんといっても財力のある中年層だった。現在の「中国のおばさんたち」と同じく、当時は日本の中年女性が海外での大量買いの中心層だった。彼女たちはグループで出かけ、海外のあらゆる場所でひたすら買い物することを最大の楽しみとしていた。90年には日本の歌手・嘉門達夫がこうした現象からヒントを得て「無敵の日本海外旅行」という曲を作った。海外旅行する日本人のイメージを誇張して歌ったものだが、誇張とはいえない部分もある。たとえば「ブランド品の店の前に 群れを作って買い漁る」という歌詞は、フランスのルイ・ヴィトンの店に長い行列を作ってバッグを買う日本人、米国ニューヨークのティファニーでネックレスを買いあさる日本人の姿をそのまま映している。堀田かつひこの4コマ漫画「オバタリアン」も、日本の中年女性の辺り構わず買い物に没頭する様子を戯画化している。
▽改善には数十年かかる
90年代以降、日本人の海外でのマナー違反の振る舞いや「観光摩擦」が表面化し、世論から政府に至るまで、海外旅行は「人数の増加」から「質の向上」への転換が叫ばれるようになった。90年12月には、日本人の海外観光客がのべ1千万人を突破。すると「日経新聞」は社説の中で、(海外へ出かける日本人は)卑屈になる必要はないが、相手国の風俗、習慣、マナーを重んじる観光客にならなければならないと呼びかけた。また同協会も観光客のマナー向上の手引きを発行し、すべての旅行会社と海外に出かける日本人に無料で配布した。日本メディアもマナー違反行為への批判のトーンを強めた。
「日経新聞」によると、日本人観光客のマナー違反行為の改善にはさまざまな手段が「一斉に採用」されたが、それでも改善には20〜30年の時間がかかった。日本の海外旅行のマナーが改善したのは、90年代中後期以降、バブル経済が崩壊して日本全体が衰退したことと関係があるという人もいる。バルブ経済が崩壊して、日本人が海外で大量買いをする経済力と浮かれた気持ちを失い、大幅に切り詰めざるを得なくなったことは確かだ。(編集KS)
「人民網日本語版」2018年10月19日
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