広州、長沙、成都、武漢、北京、大連をはじめ、中国の南から北までのあらゆる場所で、桜の花を愛でるのが春の楽しみなイベントになっている。
桜は「舶来物」ではなく、中国に起源がある。お花見も中国の伝統的行事の一つで、唐時代にはすでにその習慣があった。中唐の大詩人・劉禹錫は詩の中で、「桜桃 千葉の枝、照耀 雪天のごとし」(枝という枝に桜の花が咲き、その輝きは真っ白い雪の日のようにあたり一面を包んでいる、の意)と桜をたたえた。その後、桜は日本に伝わり、日本ではお花見が重要な民間行事になった。
桜の名前は中国の古典にはあまり多く出てこない。中国では昔、桜の花とサクランボが区別されず、混同して書かれることが多く、桜はほかの名花ほど人々の間に浸透しなかった。
▽桜の起源は中国 中国には2千年に及ぶ桜栽培の歴史と世界の野生種サクラの80%がある
桜は日本の国花だが、起源は中国にあり、たくさんの古典や文献資料に登場する。
日本の桜は中国のヒマラヤ山脈が原産だ。ヒマラヤの桜が人工栽培されるようになり、長江流域、西南地域、台湾島へと徐々に伝来した。これは日本の桜の専門書「桜大鑑」に書いてあることだ。
専門家の考証によると、今から約2千年前の秦・漢時代に桜は宮中で栽培されるようになった。唐時代には個人の家の庭で栽培されるようになった。中唐の白居易の詩に、「亦知る 官舎は吾が宅に非ず、且く山桜を刪んで院を満たして栽える」(官舎は自分の家ではないけれど、とりあえず山桜を選んできて庭いっぱいに植えた)とあり、山から野生の桜を抜いてきて庭に植えて楽しんだことが描かれている。こうした文献資料からわかることは、中国には昔からカンヒザクラ、しだれ桜、山桜、八重桜などいろいろな種類の桜があったことだ。盛唐の頃には、宮中の回廊や軒先から庶民の住宅、農村まで、いたるところで満開の桜が見られた。当時は諸国からの使者が中国を訪れることが多く、日本の使者は建築、服飾、茶道、剣道などと一緒に桜の花をもちかえったとみられる。