北京と東京は関係を良好にしようと思えばすぐにできるものではなく、中国が原則を放棄して妥協するのは、恐らく無益だろう。原則を堅持し、必要時には闘争すること、これは中日関係緩和の切り札の1つでもあると証明されている。
中日は心理的対立が実際の利益の溝を上回る。中日摩擦においては、日本の中国に対する感情的争いの占める割合が大きく、これは反対に中国社会の日本に対する感情的認識を刺激してもいる。現在ある中日世論の相互刺激状況は、いくらか幼稚に見えるが、この問題の解消は手のつけようがないのが常だ。
日本は第2次大戦中に中国を侵略し、途方もない大罪を犯した。日本国民の「被害」の側面は主に原爆投下を初めとする米国との太平洋戦争によるものだ。だが日本世論はより「嫌中」だ。これは考えるに値し、変える余地があることも当然意味している。
中日関係には過去に「経済が政治を促す」「民間が政府を促す」経験が多くある。日本の3000人の代表団の訪中は、日本国民と右翼勢力を分けて考え、異なる対応をすることに、依然一定の基礎があることをわれわれに告げているようだ。
北京と東京は軍事衝突の発生を回避することを共に強く望んでいる。だがこの願いは特に十分に体現されない。中日関係の難点は明らかだが、ブレークスルーを実現する潜在的道筋も欠かないことが容易に身て取れる。双方は相手国の重要性を共に実際に認識している以上、いくつかの圧力を受けてもその願いを隠すべきではない。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年5月28日