1973年3月、読売新聞社の副社長・原四郎氏を団長とする代表団が訪中し、柳浪聞鶯公園に建立されている「日中不再戦の碑」を見学した。(写真の提供者:曽文彬氏)
曽氏は「松尾市長を代表とする岐阜県の人々は、当時の日本政府が米国に追従、中国を敵視する政策を実行しようとする厳しい情勢の中、圧力に負けず、勇気を持って日本の侵略戦争を反省し、不再戦の決意を表明した。これには重要な歴史的意義があり、高く評価されてしかるべきだ。中日関係の近代史を振り返る中で、これら2つの碑の建立の過程を振り返り、その深い意味を知ることも、重要な意義を持っている」と述べた。
曽氏はさらに、「中日は一衣帯水の隣国。中日関係の発展は両国の国民に着眼しなければならない。中日の民間交流に力を入れ、特に青少年、学術会、経済界の交流を強化し、中日両国を協力・ウィンウィンのパートナーとし、共同発展を実現しなければならない」との見方を示した。(編集SN)
「人民網日本語版」2015年7月16日
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