残虐な生体実験で知られる関東軍731部隊問題を研究している課題グループがこのほど、731部隊が諾門罕(ノモンハン)戦争(ノモンハン事件)における細菌戦の作戦に参加していることを突き止めた。新華社が報じた。
中日の民間が保存している細菌戦文献・文化財を収集、整理、研究している同グループの責任者・楊彦君さんによると、1937年7月7日、関東軍の植田謙吉司令官は、陸軍軍医大佐・石井四郎に作戦命令「関作命丙第78号」を伝え、ノモンハンにおける戦いのため、部下将校15人を隨行させ、海拉爾(ハイラル)、将軍廟方面に行かせた。
ノモンハンにおける戦いが始まると、731部隊は、23人からなる決死隊を結成し、碇常重軍医少佐を隊長に任命。1937年7月、決死隊は中国・モンゴル国境付近を流れる哈拉哈(ハルハ)河に細菌を散布した。
今回公表された公文書には、ノモンハン戦争関連の公式文書も含まれている。例えば、1939年7月25日、植田司令官が板垣征四郎・陸軍大臣宛てに書いた報告書があり、関東軍防疫部(つまり731部隊)、臨時第三防疫給水班、臨時第四防疫班がノモンハンにおける作戦に参加したことを詳しく説明している。
ノモンハン戦争は、1939年5月から同年9月にかけて、日本とソビエト連邦間で発生した戦争。同戦争で、731部隊は初めて細菌戦を実施した。最終的に、関東軍の大敗で終結した。(編集KN)
「人民網日本語版」2015年7月10日