今の社会で、権力や富、社会的地位の次に重要な評価基準は「顔面偏差値」。その重要度は他をしのぐ勢いで、外見を重視する人の間では、顔面偏差値さえ高ければ、どんな欠点があってもよく、逆に顔面偏差値が低ければ、どんな長所があっても意味がないという状況にさえなっている。人民日報が報じた。
そのような風潮を背景に、高級な化粧品や衣類を、惜しげもなく購入する若者が増え、メディアが美容整形失敗や美容整形業界の裏側を度々報道しているにもかかわらず、自分の顔や体にメスを入れてでも「美」を求めようとしている。
「美」が全てを決めるのだろうか?きれいな女性は確かに、他の人の目につきやすいが、だからと言って、きれいな女性が魅力ある品格を備えているとは限らない。
詩人・林徽因(1904-55年)の一生を見ると、誰をも魅了する美しい人になるためには、内面的美しさを磨き、自分を生き生きさせていなければならないことが分かる。1930年代、「たくさんの良書を読むと、人間として磨かれ、それが自然と人柄ににじみ出てくる」と言う人がいた。ロシアの作家マクシム・ゴーリキー(1868-1936年)も、「学問が気品を変える」と言った。いつも、外見を飾ることばかりに忙しくしていては、気品を磨き、魅力ある人になることはできない。つまり、青春とは、自分の精神的部分を磨く期間のことで、人の心にあるものだ。
実際、外見が美しくても、内面はそれほど優れていないという人もおり、そのような人がほとんどというのが現実だ。自分の「顔面偏差値」が低いことで自信を失う必要はなく、自分の内面的美しさを自身の源とするべきだ。熾烈な競争が繰り広げられる、ペースの速い社会において、自分の生きがいを持ち、人間性を磨くことで、魅力ある人になることこそが、最も重要だ。 (編集KN)
「人民網日本語版」2015年7月20日