このやり取りで私はとても暖かい気持ちになった。王さんは標準語が話せず、成都の方言のみ話すことができる。私は成都の方言が全くわからないので、私達は友人による標準語への「通訳」を通して交流した。当時、私の標準語のレベルは低く、聞き違いや聞き取れない時は筆談で交流するほかなかった。
王さんが紙の上に「私は黒田という日本人の友人がいる。私と一緒に将棋をさした。彼は非常に礼儀正しい人だ」と書いたのを覚えている。当時の中日関係の雰囲気において、このような友好的な態度は私の中で深く印象に残った。唯一、悔しかったのが当時の私の中国語レベルの低さだ。もし今なら「黒田さんはどこの人ですか?黒田さんとの最も印象的な思い出は何ですか?」と必ず質問を続けるだろう。
私は成都での1か月間、ほぼ毎日のように王さんに会いに行った。王さんは私を「客人」としてみなし、いつも美味しいお茶をご馳走してくれ、昼ごはんをご馳走してくれる時もあった。
北京に戻る前日、私と友人は別れの挨拶に行った。王さんは何回も私と固く握手しながら家から出てきて、そしてお辞儀をした。王さんは私に「別れの挨拶の時、お辞儀をするのは日本人の習慣ですよね?」と聞いてきた。この言葉に私はとても感動した。なぜなら王さんはかつての「敵国」の文化をこんなに尊重しているからだ。
北京に戻ってから私は考え始めた。「なぜ戦争を経験した中国人は、日本人に対して逆に寛容なのか?戦争を経験していない若い世代は却って『強硬』な考え方を持ちやすいのか?」
私は「本当に日本人の身になって日本を理解するか、またネットや抗日映画で日本を理解するか」というところに違いがあると考える。
よって中日が将来もし政治的な冷え込みを取り払いたいならば先入観を捨て、親身になって相手を理解し、相手の生活や心に近づくこと。これは私が中国で13年間生活して、最も切実に感じることである。 (編集JK)
「人民網日本語版」2015年10月20日
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