香川県で農業を営む高山さん(68)は当時の農協海外「爆買いツアー」に参加した一人だ。高山さんは、「今思うと、当時ヨーロッパに行ったとき、私達は大勢の人に不快な思いをさせただろう」と話す。また「ビールが好きな日本人は飛行機の中で酔っぱらったときには大声で話したり、下品なことを言ったり、お酒の力を借りて客室乗務員に嫌がらせをしたこともあった。飲食店ではナイフとフォークに不慣れなため、大声で『箸を持ってきて』と叫んだり、ホテルに帰るとベッドでは寝にくいため、蒲団一式を床に敷いた。更にパジャマを着たままホテル内をうろうろしていた」と続ける。
また、「私は日本人のマナーが悪いとは言えないと思う。あの年代は海外に行く機会が非常に少なく、東洋と西洋の交流も少なかった。私達はわざとやったわけでない。なので今、日本に来る中国人や韓国人のマナーが悪いというのを聞くたび、そうではないと思っている。文化の違いは確かに存在する。当時の日本人にそっくりなところが、ある意味同じことを繰り返している感じを覚える」と語る。
吉村さん(54)という女性は取材に答え、当時の「ヨーロッパを一掃した偉大な功績」に話が及ぶと、いささか口が軽くなった。「それは1984年の頃、会社でフランス旅行ツアーを企画した。当時、日本人はパリの高級品店にどっと押しかけ、色々なバッグが置かれているカウンターに殺到して、選んだり試したり、まるで百貨店のバーゲンのつかみ合いのようだったと思う。店内にいる欧米の客はあっけにとられたのを覚えている。私はフランス語がわからないが、私達はフランス人にあまり歓迎されていないというのは感じた。その後、我々はフランス人に『Péril jaune(黄禍)』と言われているとある日本メディアが報道していた」と語った。(編集JK)
「人民網日本語版」2016年2月5日
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