中国を源として日本で発展
陰陽師の登場は、中国とも深い関係がある。陰陽師が拠り所としている陰陽五行思想は、中国では周代(紀元前1046-256年)に既に形成されており、書物「周易」にはその思想が詳しく記されている。その内容は、天文や暦法、風水学、医学など多方面に渡り、今でも中国医学や哲学で応用されている。
古墳時代から飛鳥時代の期間、朝鮮半島の百済は五経博士を日本に派遣し、漢学知識を教授した。しかし、その影響は小さかった。日本の政治や経済、文化に本当の意味で影響を与えたのは推古天皇10年(602年)に、百済が観勒や学僧を派遣した時で、聖徳太子を筆頭とする官僚34人に、五行学説を含む中国の思想を教授した。この時に、日本が中国から学ぶという時代の幕開けとなった。
日本は、中国に「遣隋使」や「遣唐使」を派遣して学問を学ばせたほか、教師を日本に招聘して教授を受けたり、中国の政策や文化を少しずつ取り入れ、日本独自の文化を作り上げていった。そのような過程で登場したのが陰陽師だった。
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