「失楽園」(1997年)などで知られる作家の渡辺淳一氏が4月30日、東京都内の自宅で亡くなっていたことが分かった。代表作である「失楽園」のほか、「愛の流刑地」(2006年)などは、中国でも発行され、注目を集め、中国人が日本の現代文学を知る「窓口」となってきた。環球時報が報じた。
以下は、渡辺氏の作品である「失楽園」、「天上紅蓮」、「愛の流刑地」、「愛ふたたび」などを中国語に翻訳した翻訳家・竺家栄氏の寄稿。
私は98年に「失楽園」を中国語に翻訳した。不倫を主題とした渡辺氏の最高傑作である同作品は、97年に日本の講談社から出版され、社会で大きな反響を呼び、ベストセラーとなった。また、映画やドラマにもなり、「失楽園現象」が巻き起こった。私にとって意外だったのは、同作品が中国語に訳されると、たちまち大きな話題となり、渡辺氏が中国で最も知られる日本の現代作家になったことだ。
愛は永遠のテーマで、不倫をテーマにした作品も多種多様だ。世界にはこれらをテーマにした文芸作品が山ほどある。昔から今に至るまで、数えきれない文学家や芸術家が「愛」と「不倫」の境界を追求してきたが、どの作品もまちまちで、満足のいく作品はなかなかない。愛というテーマにおいて、「善」は、「美」や「真」を含むことができるのだろうか?三者はどのような関係にあるのだろうか?どうすれば、三者をうまく統一できるのだろうか?渡辺氏の作品は、それを考える機会を読者に提供している。
98年当時も、中国語に訳された外国の文学作品はあったが、まだ数少なかったため、紹介されるたびに高い注目を集め、多くの人が競って読むという現象さえ起きていた。もし、「失楽園」が今中国に入って来たとすれば、当時のようなブームとなったかは分からない。なぜなら、現在の中国市場では外国の文学作品が飽和状態となり、読者の好みもより細分化しているからだ。
中国の読者の日本文学に対する理解は、推理小説数冊で止まっており、上っ面の知識としか言えない。実際には、日本文学は長い歴史を誇り、内容も多種多様。世界の文学界でも重要な位置を占めている。例えば、「源氏物語」は世界で最も古い小説で、現代でも、日本の文学界には「巨匠」と呼ばれる作者が数多くいる。日本文学の中国文学に対する影響も大きい。中国と違い、日本の文化や西洋の文化では、個人の感情や生活を表現することが多く、社会に注目することは少ない。一方、中国には、「たとえ政治に 関わっていなくても、国民一人一人が国家の栄枯盛衰に責任がある」という考えが昔からあり、その伝統が文学作品にも大きな影響を及ぼしている。
また、日本人は、「美」を愛する民族で、「道徳」よりも、楽しみや喜びといった感情を追求する。実際には、どの民族にも、自分達の道徳観や美的感覚がある。例えば、フランス人はロマンチックで、英国人は紳士的。米国人はモダン。そして、中国人は、「情に発し、礼義に止る」という孔子の教えを重んじる。どれも各民族が重視している「道徳」だ。一方、日本では昔から、「性」がタブー視されることがあまりなく、人々は「性道徳」の面で開放的な見方を持っている。もし、自国の道徳的物差しを持って、他の民族の美的感覚を測るなら、それは「時代遅れ」というほかないだろう。(編集KN)
「人民網日本語版」2014年5月6日