2013年12月27日  
 

中国の夢健康知恵袋 企画集 日本からニイハオ!

Apple新浪騰訊人民微信RSS
人民網日本語版

襄陽:盛都の復興

―襄陽の「中心都市の夢」に関する調査報告書

 2013年12月26日16:31
  • 分かち合うへtwitter
  • 分かち合うへyahoo
  • 分かち合うへsina.com
  • 分かち合うへrenren.com
  • 分かち合うへt.qq.com

襄陽は2800年余りの歴史を持つ。

 後漢末から魏晋南北朝時代にかけて、襄陽は全国の学術・文化の中心地であった。諸葛孔明はこの地で畑を耕し、軍事を図り、三国が鼎立した。

 東晋は全国の仏教の中心地で、道安法師はこの地で教徒の姓を「釈」に統一し、仏僧の戒律を定めた。

 唐の元和年間、襄陽は全国で4つしかない10万以上の世帯を有する州治所の一つだった。

 著名な歴史学者の厳耕望氏は、「襄陽の歴史は秦の邯鄲、明・清の秦淮より古く、800年に渡り繁栄した」と指摘した。
 これが襄陽だ。全省の新型都市化建設特別研修会において、省委員会書記の李鴻忠氏は「4つの襄陽の建設には、都市の襄陽が含まれる。都市は地域経済と文化の中心地でなければならない。襄陽は真の現代化都市、地域経済・文化の中心地、人々が幸福に生活する家にならなければならない」と強調した。

 襄陽の復興により、漢江流域の中心都市になる。襄陽を散策すると、建設が力強い勢いで進められていることが感じられる。省委員会常務委員、市委員会書記の範鋭平氏は取材に応じた際に、「省委員会・省政府の重大決定は、襄陽市民から支持されている。これは襄陽が活気あふれ、影響力を高めている根本的な理由だ。新体制・新政策は襄陽の資源集約能力を強化しており、襄陽の夢を叶えるための重要な保証になっている」と指摘した。

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

コメント

最新コメント