襄陽は2800年余りの歴史を持つ。
後漢末から魏晋南北朝時代にかけて、襄陽は全国の学術・文化の中心地であった。諸葛孔明はこの地で畑を耕し、軍事を図り、三国が鼎立した。
東晋は全国の仏教の中心地で、道安法師はこの地で教徒の姓を「釈」に統一し、仏僧の戒律を定めた。
唐の元和年間、襄陽は全国で4つしかない10万以上の世帯を有する州治所の一つだった。
著名な歴史学者の厳耕望氏は、「襄陽の歴史は秦の邯鄲、明・清の秦淮より古く、800年に渡り繁栄した」と指摘した。
これが襄陽だ。全省の新型都市化建設特別研修会において、省委員会書記の李鴻忠氏は「4つの襄陽の建設には、都市の襄陽が含まれる。都市は地域経済と文化の中心地でなければならない。襄陽は真の現代化都市、地域経済・文化の中心地、人々が幸福に生活する家にならなければならない」と強調した。
襄陽の復興により、漢江流域の中心都市になる。襄陽を散策すると、建設が力強い勢いで進められていることが感じられる。省委員会常務委員、市委員会書記の範鋭平氏は取材に応じた際に、「省委員会・省政府の重大決定は、襄陽市民から支持されている。これは襄陽が活気あふれ、影響力を高めている根本的な理由だ。新体制・新政策は襄陽の資源集約能力を強化しており、襄陽の夢を叶えるための重要な保証になっている」と指摘した。
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