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沖縄那覇市にある孔子廟 |
■首里城
このほかに、那覇市にある首里城にも中国の影響が垣間見れる。首里城は琉球王朝の国王と家族が居住する「王宮」であると同時に王国統治の行政機関「首里王府」の本部だった。壮観で威厳のあった宮殿は、残念なことに第二次世界大戦中に焼失したが、後に政府による復元事業によって再建され、今では沖縄に訪れた観光客にとって必見の観光地となっている。
首里城にある「守禮門」は、明朝第十三代の皇帝・万暦帝が琉球に贈った詔書の中の文字から名付けられた。首里城で最も目立つ、この中国式の門の屋根に掲げられた額には「守禮之邦(しゅれいのくに)」という4つの文字が書かれている。これは「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だ。「守禮門」は復元された首里城に以前と同じ姿のまま見られる。「守禮門」は琉球文化を代表する、沖縄諸島で最も重要な建築物であり、2000円札の図柄にも採用されている。
興味深いのは、首里城正殿は正面が南向きではなく、中国が位置する方向(西向き)に建てられている点だ。これは建築士のミスではなく、琉球にとって当時の宗主国であった中国が西側に位置するため、中国に敬意を表すために、琉球王朝のすべての建築物の正面が西向きに建てられているのだ。
首里城正殿内には中国皇帝が琉球王朝に贈った9つの額が飾られている。しかし、現物は第2次世界大戦で首里城が全焼した際に焼失している。現在は、復元された清の第4代皇帝・康熙帝(1654-1722)の「中山世士」と清の第5代皇帝・雍正帝(1722-1735年)の「輯瑞球陽」、清の第6代皇帝・乾隆帝(1735-1795)の「永祚瀛●」の3つの額だけが掲げられている。
首里城では毎年元旦に国王や女官に扮した人たちが朝賀の儀式を再現する「新春の宴」というイベントが行われており、中国の方角に向かって礼拝している。
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