「日米は価値観が一致」は嘘
歴史観と戦争観は人類の基本的価値観の一つだ。だが日本の右翼政治屋は歴史観と戦争観において、「価値観を共有する」同盟国・米国の譲れぬ一線に挑戦している。(文:劉江永・本紙特約論説員、清華大学現代国際関係研究院副院長。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
日本の安倍晋三首相は「侵略定義未定論」を発表して国際社会から強い非難を受けて以降、いくぶんおとなしくなった。最近、米議会の研究報告は安倍氏について「修正主義的歴史観」を持つ、誰もが認める「強硬なナショナリスト」であり、その歴史問題における言動は「地域関係を壊し、米国の利益を損なう可能性があるとの懸念を抱かせる」と指摘した。
これについて安倍氏は、報告は米国政府を代表するものではないと指摘。靖国神社についても米国のアーリントン国立墓地と同様、参拝しても問題はないと言いなした。だが、これは完全に自他ともに欺くものだ。靖国神社とアーリントン国立墓地は性質が全く異なるからである。
第1に、アーリントン国立墓地は当初、南北戦争の戦没者を埋葬して、内戦による民族の亀裂を埋めるために設けられた。一方、靖国神社の前身である東京招魂社は明治内戦および西南戦争で戦没した官軍の英霊を祀るものであり、賊軍の6000人余りの霊は慰霊の対象とされなかった。これは日本の神道が「人は亡くなれば皆仏になる」ものでは決してなく、厳格な政治的区分があることを示している。
第2に、アーリントン国立墓地は無名戦士および個人の墓が中心で、いわゆる「英霊」の合祀はない。一方、靖国神社は墓地ではなく戦争中の日本皇軍の霊堂であり、「国家神道」を喧伝する、軍国主義戦争の精神的支柱だ。日本の各回の対外侵略戦争の戦死者が「霊璽簿」に入れられ、「英霊」として合祀される。1978年には第2次大戦のA級戦犯14人も祀られた。これは戦争の被害国人民の感情を著しく傷つけるものだ。
第3に、アーリントン国立墓地は外交問題を引き起こしたことがなく、参観しても不気味な軍事宗教施設の印象は受けない。戦後靖国神社はいわゆる民間宗教施設に改められたが、依然正殿に軍刀を安置している。日本右翼勢力は靖国神社について戦前の国有地位の回復を一貫して企て、参拝する日本の政治屋はしばしば侵略の歴史の確定評価を覆そうとしている。これが国際社会の強烈な反対を招かぬわけがない。