「英米を追い抜け」はかつて中国人の目標であった。これは単に経済力を求めたのではなく、強い自尊心と自信を得るためだった。中国は目に見える実力により自らを証明し、貧しく弱いという印象を変える必要があった。先進国を必死に追いかけた後、中国は持続的な高度成長を記録した。中国人は自信を持ち、世界に顔を向けられるようになった。基本的なモノの蓄積を終えると、人々は「追い抜く」ことに対する理解を深めた。最もよく取り上げられるのは、「中国のGDPは清朝の時代に世界一となった。しかしこの世界一の裏側では、閉鎖的、立ち遅れ、愚昧、尊厳の喪失という現実があった」という事実だ。
GDPは栄誉をもたらすが、危機と代価ももたらす。貧富の格差、環境汚染、汚職などの問題がGDPの成長と共に襲来し、人々は経済成長モデルの欠陥を反省し始め、GDPの計算の不足に注目している。例えば、GDPが生活水準、所得分配の公平性、社会福祉の質、環境の損失の程度、革新力の優劣を反映できるかという問題だ。GDPの成長を気にするのは、社会の進歩と個人の幸福に期待するからだ。経済発展を求める人々は、より理性的になっている。実力とは経済力だけではなく、政治、社会福祉、生活水準、個人の夢・自由・尊厳といった豊富な内容を含む。
国民にとっては、安全な食品を食べ、安心して水を飲み、新鮮な空気を吸うという良い日々を送ることの方が、世界銀行の報告書の「世界一」よりも実質的だ。(編集YF)
「人民網日本語版」2014年5月7日