中国科学院南京地質古生物研究所の研究チームはこのほど、甘粛省玉門市赤金鎮の南西約25キロに位置する旱峡溝で、1億1000万年前のトンボ「Hemeroscopus baiscicus Pritykina」の化石を初めて発見した。同研究所の張海春研究員は、「この古代のトンボはもともとシベリアに棲息していたが、モンゴルを通って中国の北西に位置する甘粛省の玉門、華北の北京周辺、朝鮮半島南部に移った。今回の化石発見は同トンボの移住ルートをさらに明らかにした」と語った。光明日報が伝えた。
同研究所修士課程院生の鄭大燃氏は記者に対して、「研究チームは2010年に旱峡溝で調査を実施した。資料によると、ここではカブトムシ、カゲロウなどの昆虫の化石が発掘されたことがある。収集された数十個の化石のうち、資料に記載されていた昆虫や魚類の化石の他に、研究チームは意外にもトンボの化石を発見した」と説明した。
張研究員は、「これらのトンボの化石は30数個あるが、体の部分が存在しない。前と後ろの羽が合わさっている化石が一つ見つかっただけで、その他の化石の羽は断片となっている。当時の玉門は現在ほど荒涼としていなかったと思われる。トンボは幼虫から成虫になるまで水を必要とする。ゆえに当時の玉門には、湖沼があったはずだ。上述したトンボはおそらく、湖沼の付近に棲息し、死後に魚のエサになった。羽は捨てられ、その一部が化石になった。魚に食べられなかったトンボの体は、細菌の作用により分散化した。羽は丈夫で、残って化石になった。あるいは、トンボが湖沼の付近で死んでから、水によって湖沼に流されたという可能性もある。この過程において体が損傷・腐乱し、羽もばらばらになった。化石になる過程において、火山灰も一定の役割を果たした可能性がある」と推測した。
資料によると、上述したトンボは現在よく見られるトンボと、それほど変わらないという。これまでにロシアで2000個以上の化石が発見されており、地質の年代を見ると、1億1500万−1億2000万年前の間に棲息していた。その後モンゴル、朝鮮半島南部、北京の西山でも化石が発見された。張氏は、「現在までに発見されている化石を見ると、このトンボは『引っ越し』と『縄張りの拡大』を続けていたようだ。玉門市でこのほど発見された化石は、その移住ルートをさらに明らかにし、地質年代特定にも材料を提供した」と語った。(編集YF)
「人民網日本語版」2014年4月23日