同事件の生存者である潘守力さん(86)にとって、もっとも苦痛だったのは、当時、弱者である高齢者や女性、子供の死体があちこちに転がっていたことで、「そのつらい経験が73年にわたって心を悩ましてきた。村民が殺される悪夢を見て、目が覚めることがよくある」と訴える。そして、「当時、私はまだ12歳で、他の人の下敷きにされたから生き残った。多くの人を殺した後、旧日本軍の兵士は死体を刀で刺していた」とし、ズボンをめくって足の傷跡を見せ、「これも刀で刺された跡」と涙を詰まらせた。
童增会長は、「各生存者の証言は、どれもが悲惨な記憶であり、生々しい歴史。侵略者が犯した罪の動かぬ証拠でもある」と指摘する。
実際には、1992年にも、潘家峪事件の被害者らが行動を起こそうとしたが、失敗に終わっていた。潘家峪民間対日索賠団の潘瑞燊・団長は、確かな証拠である殺害された1298人のリストを見せながら、「集団訴訟を起こすのは、日本政府が深く反省し、被害者とその遺族に対して、心からの謝罪と、十分の賠償をしなければならないから」と訴えた。
潘瑞燊団長は、「日本政府が反省や謝罪、賠償を行わないなら、勝利を収めるまで、訴訟は代々続くことになる」としている。
童增会長は、「日本政府を相手にした訴訟は簡単にはいかない。それでも、同事件の被害者とその遺族の集団訴訟により、日本の悪事が一層明白になるだろう」とし、「戦争が終わって何十年にもなるが、侵略者などに対する訴訟の声は依然として大きい」と指摘。「旧日本軍が当時犯した非人道的な悪行の責任を追及することで、現在、戦争を起こそうとしている日本の右翼や政治家達に、『血の負債は必ず返さなければならない』ということを分からせたい」と訴えた。(編集KN)
「人民網日本語版」2014年7月14日