中国の全人代が今年、9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日と定めたことを知り、日本八路軍・新四軍戦友会会長の小林寛澄さん(95)は「中国は世界反ファシズム戦争に大きな貢献を果たした。このような記念日を制定することは大変有意義だ。若者が戦争について知るようにして初めて、戦争は永遠になくなる」と語った。
8月31日、小林さんは自宅で人民日報の記者に、1944年冬、山東省日照市付近の中国侵略日本軍拠点前で、日本軍に投降を呼びかけた経験を語った。「日本軍の兄弟たち、われわれは日本人民解放連盟の者だ。みなさんと心を打ち明けて話したい。撃たないでくれ。私は駐青島部隊の上等兵だ。戦闘時に負傷して八路軍の捕虜となった。彼らは私を殺さなかっただけでなく、しっかりと治療してくれ、実の兄弟のように扱い、いろいろと優遇し、教育してくれた。日本は侵略者であり、中国まで来て殺人、放火を働き、女性を強姦し、中国の資源を略奪し、中国人労働者を連行していることを、私は真に認識した。考えてみてくれ。中国の軍は一兵卒たりとも日本まで行って侵略してはいない。八路軍など中国の軍が日本軍と戦うのはなぜか?彼らは自らの国を守り、自らの人民を守っているからだ!」
1939年、高卒の小林さんは僧侶弁護士試験に合格。住職を継ぐこともできたし、僧侶弁護士事務所を開設することもできた。だが翌年徴兵され、お経を手放して銃砲を手にすることを余儀なくされた。
小林さんは「中国侵略日本軍」から「抗日八路軍」へと変身した経緯を詳しく語った。1941年6月19日、小林さんの小隊は青島の某山間部で掃討作戦を行っていた。小林さんは八路軍の捕虜にされ、気づくと八路軍の担架の上に横たわっていた。八路軍の行軍について行く途中、中国の村落多数が日本軍に焼き払われ、無数の無辜の村民が殺戮されたことを目の当たりにし、内心恥ずかしさと心苦しさを覚え始めた。八路軍の手助けと教育の下、「日本が発動したのは侵略戦争だ。中国共産党の指導する八路軍が行っているのは正義の民族解放戦争だ。自分はこれに加わり、中国人民と共に日本侵略者の凶暴行為に反対すべきだ」ということを完全に悟った。