1921年生まれの須子達也は、かつて日本軍第39師団第232連隊第1大隊第4中隊の上等兵だった。1945年8月にソ連軍に投降した。1950年7月に中国に引き渡され、撫順戦犯管理所に収容され、1956年6月に第1期の恩赦の対象となった。
以下は彼の言葉だ。
住民は全て逃げ、一人もいなかった。もし誰かいたなら殺されたか、スパイと疑われて拷問されただろう。そのため住民は私たちを見ると山に逃げ、一人の人間もおらず、家畜がいるだけだった。私たちは家畜を始末して食べた。
(日本は)絶対に中国と戦争してはならない。本当だ。隣国として私たちは互いに助け合うべきだ。私は、中国人は決して日本を攻撃したり、日本を植民地にしたりすることはないと思う。非常に嬉しいことに、今の中国は私一人でも安心して訪れることができるが、これこそ私が今見る中国なのだ。(注:文中の状況が発生した時、須子達也の所属部隊は湖南省常徳に10日ほど駐屯した)。(編集YH)
「人民網日本語版」2014年9月3日