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69年目の「8月15日」 忘却しえぬ記憶のために

「週刊!深読み『ニッポン』」第68回

人民網日本語版 2014年08月15日09:05

「週刊!深読み『ニッポン』」

 毎年8月15日は、日本にとって重要な日である。この日は日本では「終戦の日」と呼ばれている。東京の日本武道館では、天皇と皇后、日本の政界要人が集まり、第2次世界大戦で亡くなった人々のために追悼の儀式を行う。この日は、日本の重要な施設(官邸や公共の建物など)では半旗が掲げられ、追悼の意が捧げられる。(文:中国社会科学院日本研究所日本問題専門家・趙剛)

 8月15日が日本の全国的な記念日となった由来は、69年前のこの日、つまり1945年の8月15日に遡る。この日の正午12時、日本放送協会(現NHK)のラジオ放送で、昭和天皇の肉声による『大東亜戦争終結ノ詔書』の録音が流れ(玉音放送)、日本全体の国民に対して、日本が「ポツダム宣言」を受諾し、連合軍に対して無条件降伏することが発表された。

 だが8月15日がどのような日なのかは、日本の一般庶民はあまりよくはわかっていないようだ。日本の庶民やメディアは現在、8月15日を「終戦記念日」と呼んでいる。だが日本が「終戦」と呼んでいるものの実質は、連合軍に対する無条件降伏である。無条件降伏なら、日本にとっては何の「記念」の価値もない。日本の当局者はそのことをはっきりと知っており、8月15日の正式な呼び名は「終戦の日」とされている。NHKは毎年、この日について報道する際、「終戦から今日でXX年が経ちました」という報道の仕方をしている。

 日本は敗戦後すぐに追悼の儀式を始めたわけではない。1965年に日本政府が武道館で「全国戦没者追悼式」を正式に始めるまで、日本国内には、第2次世界大戦で死亡した国民を追悼する儀式について決められた期日も場所も形式もなかった。

 1963年には、戦没者追悼式を8月15日に行うことが初めて決められた。この年の8月15日、日本政府は東京の日比谷公会堂で、「第3回全国戦没者追悼式」を開催した。この後、日本は毎年この日に、政府による追悼の儀式を開催するようになった。

 戦争で亡くなった親族を追悼すること自体を過度に非難すべきではない。日本は自らが発動した侵略戦争において310万人の自国民の死者を出した。これには多くの一般市民が含まれる。とりわけ広島や長崎の原子爆弾投下や沖縄の防衛戦、東京大空襲などでは、無数の罪のない一般市民が戦火の中で亡くなった。中日国交正常化の交渉過程において、周恩来総理は、双方の民衆に対して繰り返し強調した。「中日両国の国民はどちらも、日本の軍国主義が発動した侵略戦争の被害者であり、責任は日本の国民にはない」。だが同時に、忘れてはならないのは、中国は、14年にわたる抗日戦争において、国土喪失の痛みと3500万人の犠牲を払わなければならなかったということだ(中国軍事科学院歴史研究部が1995年に発表した統計データによる)。

 8月15日を「終戦記念日」としたことについては、日本国内にもさまざまな声がある。著名なメディア論研究者の佐藤卓己氏はその著書『八月十五日の神話』で、8月15日が日本の戦後の「断絶史観」のシンボルとなったと指摘する。8月15日を分岐点とすることによって、人々の記憶の中で戦前と戦後とに人為的な分割を施したというのである。

 確かに、第2次世界大戦の歴史の中で、8月15日の重要性はそれほど高くない。日本政府は8月10日の御前会議において連合軍への無条件降伏を決めていた。日本政府は同日午後8時、日本放送協会の対外放送を通じて世界に向けて3度、英語と日本語でこの決定を発表している。日本側が正式に連合軍に降伏を宣言するのは8月14日で、連合軍が降伏受け入れの儀式を行ったのは9月2日である。「終戦の日」は8月14日か9月2日になるのが筋だ。


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