2014年9月3日  
 

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元外交官の李宗恵氏「中日交流は歴史を鑑とし、時代とともに変わるべき」

人民網日本語版 2014年09月03日16:02

かつて日本で外交官を務めた李宗恵氏(78)は1954年、18歳の時に北京大学の東洋語学科に進学し、国学の大家である季羡林氏(元東洋語学科主任)の指導の下、「国のために貢献する」との考えから、当時は将来の見通しが明るくなかった日本語専攻を選んだ。新華網が伝えた。

李宗恵氏とクラスメートは、中日友好に携わる人々を通じて、日本人の文通相手と知り合った。中林鄭子さんもその1人だ。李宗恵氏は、中林さんから初めて受け取った葉書について次のように描写した。「新潟の若い女性で、伝統的な和服を着て和髪を結い、畳の上で正座をし、窓の外の美しい花火を眺めている写真だった。女性の表情は穏やかで、全体的にとても静謐な感じがした」――。

面識も無い、しかもかつての敵国の人間に手紙を書くことは、李宗恵氏ら中国青年にとって複雑な感情を起こさせることだった。「多くの人は、通訳は外国人のために話をする仕事だと思っていた。日本人のために話をするなど、裏切り者だ。ましてや、手紙を書くなどすれば、敵に内通して祖国を裏切った証拠を残すことになるのではないかと心配した」。

しかし李宗恵氏は、「初めて中林鄭子さんからの返信を受け取った時は、うれしくて椅子から飛び上がった」という。当時、中国の民間人は外国との交流が限られており、中日両国もまだ国交が正常化しておらず、8年間の抗日戦争の痛みがまだはっきりと残っていた。当時の中国において、日本は非常に敏感で重い話題だった。しかし、憎むべき、よく知らない隣国・日本からの返信は、李宗恵氏に外の世界へと続く窓を開かせた。


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