【2つのイチゴ棚の収穫ゼロに 止めるか続けるか苦渋の決断】
2010年、王さんは帰国した。北京に戻った後、不動産関連企業で監査の仕事に就いた。オフタイムは、有機農業分野の論文や書籍を読むようになった。週末には中国農業大学で講義を聴講し、農業に関する問題に突き当たると、専門家に問い合わせた。
2012年、王さんは十数人の作業員を雇い、2つのイチゴ棚でイチゴの有機栽培を始めた。有機栽培の経験が豊かな作業員であっても、栽培の過程で環境ホルモン成分の入った農薬を使うことは、王さんにとって予想外だった。「私は、天敵を利用することでイチゴの病害虫を防除するつもりだったが、作業員はその方法を認めなかった」と王さんは振り返った。
イチゴの葉に「ハダニ」が増えていくのを見て、作業員は農薬を撒いて駆除すべきだと王さんに訴えたが、王さんは「農薬は一切使わない」主義を貫いた。2つのイチゴ棚に植えたイチゴは、70日あまりの後、すべて収穫できない状態になった。
1年目の失敗は、王さんに多くの教訓をもたらした。2013年、高級職の仕事を辞め、新しいイチゴ栽培に挑戦した。一からの再出発となったこの時は、農業科学院の技術者に手伝ってもらい、前回よりもっと慎重にイチゴの苗を育てた。最適の温度と湿度を保ち、何度も試験を重ね、2013年の年末、イチゴの大豊作がついに実現した。キロ100元(約1900円)で販売し、お客の多くがリピーターとなった。
王さんは、大口顧客よりも、家庭型会員を増やしたいと思っている。「現代的な農場モデルをより多くの人に知ってもらいたい。口コミで評判になり、社会が認可してくれるようになれば、産業チェーンが徐々に形成されるだろう」と王さんは今後の抱負を語った。(編集KM)
「人民網日本語版」2015年1月6日