1987年6月14日、『湖北日報』に『鄂(湖北省の別称)に遥々恩返しに来る砂田寿夫氏』という題名の記事が掲載された。その中では、一人の日本老兵による恩返しの旅が紹介されており、中国民衆の義の精神と善良で素朴な人道主義精神が叙述されている。湖北日報が伝えた。
砂田氏は元々中国を侵略した日本兵の一員であり、1945年の日本の敗戦後に投降し、中国の捕虜となった。砂田氏は他の7000余りの日本捕虜と共に仙桃市に抑留され、杜台村に抑留されている千名近い日本兵捕虜とともに捕虜返還を待った。砂田氏を含めた4名の捕虜は農民である郭德南さんの家に8ヶ月間滞在し、1946年4月に日本に帰国したが、この期間中、郭さん夫婦は厨房を特別に彼らの住まいとして用意した。郭さん夫婦はまた、砂田氏らの食事が足りないことに気付くと、積極的に自分たちのものを分け与え、1946年の春節(旧正月)の時には、砂田氏らに肉と酒を振舞った。砂田氏が抑留中に重い病を患ったときには、医者をわざわざ呼び診療させた。
帰国後数十年経っても、砂田氏は郭さん一家の恩義を忘れることはなかった。中日国交正常化後には、幾度となく郭さんの消息を尋ね回り、賀平という名の在日留学生が仙桃出身であることを知ると、大喜びし、彼に郭さんのお見舞いを託した。