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「ライバル」の日本の長所に目を向ける器をもっているか? (二) (2)

人民網日本語版 2016年07月26日09:09

長期にわたって自民党一党優位が保たれた背後に、非難されるべき政・官・財の癒着構造「鉄のトライアングル」があったとしても、また、金権政治や派閥抗争があるとしても、この特殊な体制により、日本は国際資源と高い国政運営の能力を備えるようになったということを、中国人は認めざるを得ない。特に1960年代、池田勇人首相が打ち出した「国民所得倍増計画」により、日本は戦後の経済発展における「黄金時代」を迎えた。当時、日本は19年連続で経済成長率が2ケタを超える奇跡を実現し、1960年にはその経済成長率は21.4%増の記録を達成し、さらには社会政策の礎を固め、社会の調和や長期的な安定を保ち続けた。

日本人はいったいなぜ、融通がきき、巧みで、新進の日本を急速に台頭させ、第二次世界大戦後に民族の第二次復興を実現させたのか、中国人はよく考える必要がある。政治的な意味における理論の革新という分野や金融の方法論における資源配置という分野において、中国が日本から引き続き学ぶことは、対日闘争ゲームと同じほど重要である。(編集KN)

「人民網日本語版」2016年7月26日


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中川 清三   2016-09-01125.53.124.*
 「ライバル日本の」と中国は何かにつけて、日本をライバル視しているようだ。その昔日本から中国へと荒波に命を任せて、必死に先進国中国の文化や芸術を吸収して、日本の基礎を築いた「遣唐使」や「遣隋使」。戦乱の時代から平穏の時代が、300年も続いた徳川幕府、江戸末期のアメリカ・ペリーの黒船に刺激された高知や長州の脱藩浪士。大政奉還後の日本の新しい船出となった明治維新。明治後期から昭和初期における日本の近代化と工業力。1930年、父親が経営していた「豊田自動織機」の工場の片隅で、アメリカ・フォード社から買い付けた一台の「T型フォード車」を徹底的に分解し苦労に苦労を重ねて、全ての部品を国産化に成功した豊田佐吉。1960年代なれば「トヨタカローラ」が日本を席巻し、1980年に入ると海外に工場を作り、グローバルメーカーへと進化していった。 日本は何もかも国産出来たわけではないが、最初はイギリス・アメリカを手本として、模倣して作る物は二流品や三流品だった。 日本全土の都市や軍事工場が、アメリカから徹底的に破壊され尽くして、広島長崎に原爆を投下され焼け野原と化した日本、1945年日本は初めて戦争に負けて、アメリカの管理下に置かれていながら、気骨ある日本人が戦後復興を目指して努力した結果、それから18年後の1963年には、アジア初の東京オリンピックを開催・東海道新幹線もそのオリンピックに合わせて運行を開始した。 中国は日本の事を「小日本」と見下しているが、中国の近代化は日本がもたらしたと言っても過言ではない。1980年代の中国はアジアの貧国の一つであった。日本を訪問した中国の指導者の「鄧小平」氏に頼まれて、中国青島に初の工場を建てて、中国経済の近代化に貢献した「松下幸之助」。 中国経済全ての産業が、日本の恩恵を受けていながら、半日政策が止められない中国。訪日中国人が日本文化や商品に感激して、二度三度と日本に来て、日本を褒めたたえている中国人。日本の農村風景に感激する中国人。安心で安全な旨い水がいつでもただで飲める日本の水道。ラッシュ時の高速道路でもクラクションが聞こえない日本の車事情。奇麗な号路と奇麗なトイレ。ボールペン先のちっちゃなボールを大量に生産する日本。直径3mmのモーターから大型船舶エンジンやマッハ5以上のスピードで飛ぶミサイルを作れる日本。ジェットエンジンを純国産できる日本。波高3mの荒海に着水できる大型飛行艇を作る日本。そのほか例に挙げれば切りが無い日本と中国が本当にライバルなのか。 日本は中国製の物がなくとも、全く困らないが、中国では日本製の物がないと人民も工場も困るではないのか。こういう二国がライバルと言えるのか。 人民日報の反論記事を楽しみにしている。