18日午後2時、重慶大爆撃対日民間賠償請求訴訟の控訴審(第二審)が、東京高等裁判所で始まった。昨年の第一審で敗訴した後、粟遠奎さんら原告団が控訴。この日ついに東京高裁の法廷に立ち、旧日本軍が中国侵略戦争中に実施した無差別空襲「重慶大爆撃」という残虐行為について、引き続きその罪を訴え続ける。人民日報が伝えた。
第二次世界戦争期間、日本軍は1938年2月から1943年8月までの5年半の間に、重慶市およびその周辺地域で218回に及ぶ無差別爆撃を繰り返し、多くの現地住民が死傷した。控訴審の原告団243人の代表を務める粟遠奎さんは法廷で、重慶大爆撃での自分の経験について話した。彼は、1941年の重慶「六五大トンネル事件」で、2人の姉を失い、自分は防空壕で酸欠のため一度は窒息状態に陥ったが、その後救助されて奇跡的に一命を取り留めた。
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