中米関係は過去のいずれの大国間関係とも異なる時代背景に芽生え、成長し、高度に複雑な相互依存を形成してきた。過去の歴史の型にはまらない現状及び未来を呈するのも当然である。たとえベルリンの壁よりも高く厚い「ガラスのカーテンウォール」を構築しようとする者がいても、両国関係には簡単に変えることの許されない大勢が自ずとある。(文:胡宇斉。北京日報掲載)
中米の貿易紛争は次第に沈静化へ向かい、交渉が進められている。先日の「中米関係40年」シンポジウムで、中米間の戦略的相互信頼に存在する問題について問われた中国の崔天凱駐米大使は「中米間に『ガラスのカーテンウォール』を設置しようとしている者がいる。このような危険な傾向が米国社会のメインストリームとならないことを望む」と直言した。
グローバル化の今日、世界は次第にフラットになり、目の届く隅々全てがかつてないほどに結びついている。統計では、中米間では平均して1日1万4000人が往き来し、17分ごとに空の便が離着陸している。これはまさに中米両国の緊密な結びつき、深い双方向交流の縮図だ。だが不思議な事に、協力を拡大・拡充し続ける両国は、しばしば波風に遭遇する。互恵・ウィンウィンの経済・貿易関係が常に活発であると、「中国が雇用を奪う」と非難する声が上がる。中国の軍艦が余りにも正常な通常のパトロールを行うと、「武力の誇示だ」と問題視する声が上がる。「中国語ブーム」でさえも、西側の価値観を脅かす「シャープパワー」と見なされる。まさに崔大使が指摘したように、中米関係の下に、現実的あるいは観念的な「ガラスのカーテンウォール」がしばしば出現し、双方は手を伸ばし握手しようとする度に壁にぶつかる。
「ガラスのカーテンウォール」はなぜ出現するのか。一部の者の心の底にある「トゥキディデスの罠」思考の仕業である可能性が排除できない。歴史の慣性の下、守成の大国は日増しに台頭する新興の大国に対してわだかまりがあり、自らの覇権的地位の終焉を懸念するのが常だ。ソ連崩壊以来、米国は長い間世界唯一の超大国であり続け、たとえ後を追う国がまだはるか後方にあっても、深刻な危機感を抱いてきた。客観的に言って、中米両国には発展路線、制度選択などの面で確かにいくつか違いや溝がある。とりわけ中国が急速に世界第2の経済大国になったことで、米国は「不適応感」を強めていった。特に、中米間の矛盾、摩擦、衝突を喜び、国家間の競争と中米間の体制の違いをあげつらい、もめ事を引き起こす者が常にいる。彼らが、中米間にいわゆる「ガラスのカーテンウォール」を設ける者だ。
幸いなことに、道は平坦ではなかったが、過去40年間中米関係は争っても決裂することはなく、常に危険の崖っ縁から引き返してきた。1972年に氷を割り、1979年に国交を樹立し、中米両国は相互信頼と互恵の中で新型の大国関係を切り開いてきた。互いに融け合い切り離せない今日、米国の零落は中国の福音ではなく、中国の低迷も米国にとって決して良い事ではない。ましてや中米対立は全世界にとって甚大な災禍となる。中米関係は過去のいずれの大国間関係とも異なる時代背景に芽生え、成長し、高度に複雑な相互依存を形成してきた。過去の歴史の型にはまらない現状及び未来を呈するのも当然である。たとえベルリンの壁よりも高く厚い「ガラスのカーテンウォール」を構築しようとする者がいても、両国関係には簡単に変えることの許されない大勢が自ずとある。
四十にして惑わず。中米交流の風雨の40年、協力は無から有へ、小から大へ、少から多へと発展してきた。視野を拡大すると、中米交流の歴史の足跡がはっきりと見えてくる。2世紀余り前、特産物を満載した米国の商船「エンプレス・オブ・チャイナ」が太平洋を越えて初めて中国へ渡った。150年余り前、数万人もの中国人労働者が海を越えて、米国人と共に東西に横断する太平洋鉄道を敷設した。70数年前、中国の軍民は米国の将兵と共に血みどろになって戦い、「フライング・タイガーズ」「駝峰航線」が美談となった。40数年前、「ピンポン外交」の後、両国はついに「太平洋を越える握手」を実現した。時が両国間の距離を縮め、積み重なって協力の強固な基礎となった。道が平坦ではなく、激変しても、中米関係は常に前進する。これが滔々たる大勢であり、中米関係変遷の深層の論理でもある。(編集NA)
「人民網日本語版」2018年5月17日
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