中国にはなぜ「お見合いコーナー」があるの? (2)

人民網日本語版 2019年10月28日14:22

北京中山公園のお見合いコーナー。交流する2人の親(撮影・劉雲)。

復旦大学社会発展・公共政策学院の沈奕斐准教授は、「恋人と出会う方法として、お見合いは極めて正常なスタイルであり、特別視する必要はない。お見合いコーナーは合理的であり、伝統的な恋愛・結婚観の延長線上にあり、この伝統的な観念が新たな空間に、別の一つのスタイルとして現れたものに過ぎない」との見方を示した。

また沈准教授は、「新中国成立当初、社会における人口の流動性は小さく、人々の交友範囲はかなり狭いものだった。そのため配偶者を選ぶ主な方法は、地域のネットワークや親族・友人を介してということになり、結婚相手の多くは、隣人や同級生、職場の同僚など常日頃接触している人々の中から選んだ。そして両親の意見も非常に重要で、しかも大きな決定権を握っていた。このように当時の若者の交際範囲はかなり閉鎖的で、基本的にプライベートな範囲に限られており、自ら相手を選ぶということもかなり少なかった」とした。

そして、「社会が発展し続けるのにともない、人々の活動範囲も広くなっていき、思想や考え方にも絶えず変化が生じ、恋愛・結婚観も、保守的な傾向から、だんだんと開放的なものに変わっていった。これらの変化はお見合いコーナーによりはっきりと具現化されている。父母は、子供の年齢から学歴、戸籍、収入、仕事などの条件を逐一並べ、最もふさわしい相手を探し求めている。若者の恋愛・結婚問題が、プライベートな問題から、ごく一般の人々にとっての問題へと変化し始めたのだと言える」とした。

さらに、「『お見合いコーナー』という『ダサい』スタイルを受け入れる若者が多くなっているだけでなく、ひいては自らがお見合いコーナーに足を運ぶようにもなっている。実際、子供が親に見合い相手と会うという決定を伝えること自体、若者自身が決めていることを意味している。このように自主性がより強い若者世代は、安定した家庭関係に憧れており、自分の結婚についても、新たな考え方や認識を抱いている」とした。

〇仲人から仲介へ 新たな時代に突入した中国のお見合いスタイル

「中国式お見合い」の誕生と新中国成立から70年に及ぶ政治や経済、文化の全面的発展という現実とは、切っても切り離すことはできない

「結婚相手募集!丁乃鈞、男、未婚、40歳、身長170センチ…月給43.5元。興味のある方は近影を添えて連絡下さい」、これは1981年1月8日に人民日報が発行した「市場報」に掲載された結婚相手募集広告で、丁乃鈞さんは中国の新聞で結婚相手募集広告を出した初めての広告主となった。

新中国成立後初めて結婚相手募集広告を出した丁乃鈞さん(資料写真)。

その1年後、国内初の公営結婚紹介所が時運に乗って誕生した。1982年11月15日、広東省に広州市青年結婚紹介所が正式に設立された。この結婚紹介所は、広州市委員会が企画・設立した結婚相手を探す未婚の若者のための常設サービス機関となった。「中国婦女報」の報道によると、1984年6月までに、同結婚紹介所で出会い、ゴールインしたカップルは1400組を上回り、カップリング率は14.4%に達した。

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