2014年1月27日  
 

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日本人はなぜイルカ追い込み漁をやめないのか? (2)

 2014年01月27日08:23
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「ザ・コーヴ」の公開後、反イルカ漁のブームが起きた。写真はフィリピンの首都マニラの日本大使館前で行われた、イルカ漁に反対するデモ。

 和歌山県の南東に位置する太地町は、太平洋に面した小さな漁村で、総人口は3200人に満たない。映画「ザ・コーヴ」でこの町の血なまぐさいイルカ漁の実態が明らかにされてからというもの、毎年イルカ漁の季節になると、漁港の周りには西側諸国の動物愛護団体がどっと押し寄せる。彼らはビデオカメラを手に漁民と対峙し、イルカの大量虐殺をやめるよう要求する。

 日本のイルカ追い込み漁が今も行われている同町では、今年も数百頭のイルカが入り江に追い込まれて殺され、海は真っ赤な血の色に染まった。近代的な文明国である日本で、なぜ今も野蛮な伝統的風習が残されているのだろう?

 太地町の観光サイトによると、太地町は「古式捕鯨」の発祥地であり、江戸時代には現地の豪族、和田家一族が捕鯨技術の研究を進め、現在の追い込み漁の前身となる捕鯨技術を考案した。現地の記録によると、追い込み漁が始まったのは1933年以降で、「ザ・コーヴ」で見られるような、海一面が真っ赤に染まるほどの追い込み漁が始まったのは1960年代末からだという。

 現在各地で行われているイルカ漁の目的は主に食用で、一部は生体捕獲されて水族館のイルカショーや研究用に使われるものもある。太地町で殺されたイルカも主に、食肉用としてスーパーに提供されている。このほか、害獣駆除の手段として漁が行われるケースもあり、長崎県の壱岐島では、1970―1980年代において、大規模なイルカ追い込み漁が害獣駆除目的で行われていた。これは近海のイルカが魚を食べることで、現地の漁業に影響を及ぼすことを防ぐためだ。しかし、壱岐島ではイルカ肉を食べる習慣がなかったため、殺されたイルカのほとんどは、飼料や肥料の原料として活用された。日本では戦後、貴重なたんぱく源として鯨類の肉が供給された。現在でも一部のスーパーでイルカ肉を手に入れることができる。

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