日本の「空気」文化 独特な社会を形成:宋文洲 (2)
日本人は幼い頃より、大多数の人々に合わせ、全体の秩序を守ることを学ぶ。そうでなければ、「村八分」の制裁を受けることになる。
そのため日本人はおとなしくて管理しやすいが、独立した考えを持たない。常に多くの人がどのように考え、どのように行動するかを検討してから、自分の考えと行動を決定する。
このような「空気文化」の蓄積により、日本社会には集団心理に左右され、集団洗脳される危険性が存在する。つまり日本人が集団で危険を冒す可能性が高いと言える。彼らは一人で行動する際には非常に慎重だが、集団で行動する場合は大胆になる。これは彼らが大胆なのではなく、自ら考えようとしない、自ら考えられないためだ。
今回の釣魚島(尖閣諸島)問題の発端は、石原氏による島の購入に向けた行動だ。丹羽前中国大使は数カ月前に、「買い取りを実施すれば、中日関係に重大な危機が訪れる」と繰り返し忠告していた。これは本当のことであり、日本の政策決定にとって高い価値を持っていた。しかし日本は中国の顔色など気にしないという空気に支配された。メディアはこぞって丹羽氏を批判し、日本政府も公開の警告・処分を行い、丹羽氏を更迭した。それから数カ月後、丹羽氏の発言が真理だったことが、現実によって証明された。しかしメディアや政治家は、自らの判断ミスを認めようとしていない。
外国人から見れば幼稚で下らない事だが、日本人の間で空気が形成されると、彼らはその他の影響をまったく受けず、壁にぶつかるか谷底に呑み込まれるまで、一致団結して前進する。民族性というものは、一度の戦争で根本的に変わるものではない。日本という国家やその組織と交流する際、日本人のこの「空気」と称される、集団の同一性を求める心理に注意が必要だ。それは理屈ではなく、同じであることのみを求める。それが誰に導かれているのか、いつ変化するのかを知ることはできない。(筆者 宋文洲/編集YF)
「人民網日本語版」2012年11月5日