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ユニクロ発展の道を参考に:UTは如何にしてブームになったか (2)

人民網日本語版 2014年05月22日14:10
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このため、消費者がUT商品に抱くイメージは膨大な品数が並ぶスーパーに近いもので、どちらにしてもオシャレとは言えないものだった。このイメージを変えるべく、2006年年初に柳井市は日本の広告デザイン界で活躍する人気デザイナーの佐藤可士和氏をユニクロのアートディレクターに抜擢し、ユニクロの世界中のビジュアルデザインを担当させた。

佐藤氏は「UTコンセプトショップ」を日本のストリートファッションが集中する原宿にオープンさせ、UTを透明のパッケージに入れて発売し人々をひきつけた。「もしユニクロにUTがなければ、こんなにも自由で多元的なブランドにはなっていない」と佐藤氏は語る。

これ以降、ユニクロはUTを自社のファッション要素を高める重要なラインとして見てきた。しかし、スヌーピーやミッキーマウスといったキャラクターものばかり登場するUTのデザインは消費者の目には幼稚でつまらないものに写った。

「既存のイメージを一新させるTシャツのスタンダードが必要だと感じたユニクロは、新しい商品を開発できる人物を探していた」とUTクリエイティブディレクターの長尾智明氏は語る。

半年前に新しく就任したこのクリエイティブディレクターはNIGOの愛称で知られている。NIGOが設立したファッションブランドのA Bathing Ape(BAPE)は世界中でその名を轟かせた。

2014年のUTは全部で30シリーズ、1000種類に上る。これらのデザインはすべてNIGOの指揮の下で行われた。日本のユースカルチャー、ストリートファッションのアイコン的存在であったNIGOは確かにこれ以上ない人選だった。NIGOがUTのクリエイティブディレクターに就任した後に、まず最初に行ったことは、UTのボディを「最も原始的な手法で作られたTシャツー1950年代、米国で服装の1つとして生まれたTシャツ」や「1960年代のポップカルチャーが全世界を魅了していた頃」に回帰させることだった。


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