「サッカーの起源は蹴鞠」を示す記載あり
10日午前、同博物院の馬国慶・院長は取材に対して、「確かに、ブラッター会長は、サッカーの発祥地は淄博市と認めた。英国が言っているのは『現代サッカー』のルールが英国で確立されたという点。確かに『現代サッカー』の発祥地は英国と言える」との見方を示した。
同博物館のスタッフが編集した書籍「斉文化」や「中国蹴鞠」もこの点に言及し、後者の動画篇、宣伝篇、確認篇などでも、蹴鞠が世界に伝わって行った過程を説明している。
FIFAのあるメディア関連のスタッフは「世界で最も人気のあるスポーツ・現代サッカーの歴史は100年を超えている。1863年に英国で始まり、ラグビーとサッカーが別々に発展し始めたのもこの時期だ。もちろん、起源を同じにするこの2種類の競技には、分かれる前の長く複雑に入り組んだ枝と幹もある。ここからさらに数百年遡ると、少なくとも6種類のゲーム方式がある」と語る。
つまり、別の観点から見ると、科学的根拠のあるサッカーの起源は、紀元前200-300年の中国にまで遡ることができるのだ。
蹴鞠は、中国漢の時代(紀元前202-220年)に広く伝わり始めた。直径30-40センチの羽根の詰まった革製の球を蹴り、地面に立てた竹竿で「ゴール」を作り、入れた数を競った。その後、手を使わずに、足や胸、背中、肩だけを使って、相手の攻撃を防御するようになり、シンプルな攻撃が難しくなった。同じようなルールは現代のサッカーにも見られる。
それから500-600年後、日本にも蹴鞠(けまり)という遊戯があった。中国の蹴鞠との違いは、対抗性がない点で、4人、6人、8人で構成された1チームが鞠を一定の高さで蹴り続け、その回数を競う競技だった。古代ギリシャの「エピスキロス」や古代ローマの「ハルパスタム」も、人気を700-800年保った。
ハルパスタムが英国に伝わったという説もあるが、同競技は足をほとんど使わないため、サッカーとは別物だ。(編集KN)
「人民網日本語版」2014年6月11日