2014年11月25日  
 

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「男神」を作り上げた正体 (2)

人民網日本語版 2014年11月24日16:39

実はこの二つの市場は厳密に分けられるものではない。中国が改革開放に舵を切り杜丘冬人と真由美が目に飛び込んできたとき、人々は押し寄せる変化の波に抵抗できるはずもなく、改革開放という中国の環境の変化が「君よ憤怒の河を渉れ」の人気を生み出したと言える。90年代末に至るまで日本は依然アジアにおいて二つの市場を押さえていたが、日本の作品は次第に勢いを落としていく。アジアの繁栄はここに暮らす人々の作品を味わう力を養い、後者の市場が文化の希少品でなくなると、次第にそれは市場の主流ではなくなっていった。それと同時に、アジアの文芸作品も力をつけ、昭和の日本の作品と肩を並べるまでに成長していった。韓流ブームや中国映画の台頭は、一時期の話題から、次第に受け入れざるを得ない現実となった。

高倉健が張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画「単騎、千里を走る。」に登場すると、2005年に中国市場で再び日本ブームを巻き起こしたが、その後で日本の文芸作品が注目されることはぱったりとなくなった。同時期に中日関係が度々困難に直面したこともあり、日本の世論は中国の広電総局の「いじわる」だろうと無邪気に抵抗していたが、実際問題、ここ10年の間に日本は活力や栄養を与えてくれるような良い作品をどれほど作ったというのだろうか。昨年は「半沢直樹」が中国でも一時ブームになった。このことからも分かるように、中国で日本の作品が話題に上らなくなった根本的原因は、日本の作品がすでに中国の観衆が求めるものでなくなったからなのだ。この点を省みなければ、日本作品衰退の勢いは止まらないだろう。競争や陰険な駆け引き、爽やかな若手俳優、涙をそそる作品などを見たければ、もう日本ドラマを見る必要はないのだ。

さらに省みるべきは日本の視聴者自身にある。俳優高倉健を作り上げたのは、当時の勤勉で責任感のある、我慢強い日本人であったが、今日の日本の「男神」を作り上げるのは、その多くが社会と関わることを拒み、恋することにすら興味をもたず、化粧品の特売に夢中になる「草食系男子」ではないだろうか。中日間の歴史認識の違いについて話し合う場においても、彼らは「歴史は私と無関係」という回避的態度をとることが常である。彼らは身の回りで起きる社会問題と向き合うことも怠り、責任回避の立場をとっているに他ならない。

つまり、「男神」はそれを見る視聴者が作り出しており、それを見る視聴者がどんな人間かで、「男神」そのものが変わってくるのだ。(編集IM)

「人民日報日本語版」2014年11月24日


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