たとえば、会社のオフィスで働いている時、自分の机の上の資料は絶対に隣の机に入ってはいけない。もし、他人の机に入ってしまえば、その人は、「許可もしていないのに、自分の領地を侵害された」と思い、あなたのことを非常に失礼な人だと感じるだろう。
日本人は茶室という非常に狭い空間を作り出し、その中に安心感を見出した。これまで何度も中国人を茶室に案内した経験を持つが、中国人はみな大して興味を示さなかった。そして、あることに気付いた。中国人にとって茶室は狭すぎるのだ。
日本人のこのような厳格な領域観は、時に窮屈さを感じさせる。実際、他人との境界線を明確に分ける必要なんてまったくない。
5世紀頃に編纂された中国の逸話集「世説新語」に次のような物語がある。
竹林の七賢の1人、劉伶は非常にお酒を飲むのが好きで、家ではいつも真っ裸だった。客人が自分を嘲笑ったのを聞いて劉伶は、「私は天地を衣服として、屋敷を下着としている。諸君はなぜ私の下着に入ってきたのか?」と聞いた。客人は、これに対し、何も言葉を返せなかった。
もし日本人の顔の面が劉伶の10分の1ほどでも厚ければ、日本は絶対にもっと住み心地のいい場所に変わることだろう。(筆者 日本のベテランジャーナリスト 野島剛)(編集MZ)
「人民網日本語版」2015年3月16日