〇過去にもトライした長春のペンパル探し
「李さんは、中国の雑誌や切手を私に贈ってくれたことがある。彼の友人も、私に年賀状を送ってくれた。私も彼に、日本の切手、小説、自分が手作りした布製の子犬などを贈った」―佐藤さんは、これらの細かいことを、今でもはっきりと覚えている。
1960年代、いくつかの出来事のために、彼らのやり取りが途絶えてしまった。だが、佐藤さんは、ずっと李さんのことを忘れなかった。「日本に住む中国人が増えるにともない、私は少しずつ中国語を覚え、中国人の友人も数人できた。でも、李さんは、私が最も心を許して話した友人のひとりだ。私は、何人かの中国人の友達に、李さんの消息を探して欲しいと頼んだが、結局分からなかった」と佐藤さん。
張先生は、長春に戻った後、佐藤さんのペンパル探しのために忙しい毎日を送った。「李さんがかつて働いていた職場にも連絡を取ってみたが、残念ながら何の手がかりも得られなかった」と張先生は話した。
時が経つにつれて、佐藤さんはますます、当時の純粋な友情を懐かしむ気持ちが強まり、何としても李さんを探し出し、彼といろいろな話をしたいと思った。「もし李さんがまだ健在ならば、長春でも他の場所でも、どこでも良いので彼に一目会いたい。もし、彼がもうこの世にいないのならば、長年大切に取っておいたこれらの手紙を、形見として彼の家族に渡したい」と佐藤さんは語った。(編集KM)
「人民網日本語版」2015年3月24日