「私たちが日常生活で使用する紙は、実は武器になる。私たちが現在いる場所は第2次大戦時に日本陸軍の登戸研究所だった。ここでは紙と関係のある武器2つが開発された。風船爆弾と偽札だ」。21日に神奈川県の明治大学で行われた平和教育登戸研究所資料館開館5周年記念行事で、山田朗館長はこう語った。
第2次大戦中に細菌兵器と偽札の開発に用いられた秘密研究所は、有識者の努力でより多くの日本国民に歴史を知らせ、銘記させるための歴史資料館に変わった。資料館前の碑に記された設立趣旨は「私たちは戦争の暗部を直視し、戦争の本質や戦前の日本軍がおこなってきた諸活動の一端を、冷静に後世に語り継いでいく必要がある」としている。来館者ノートには少なからぬ日本国民が「歴史をより良く反省すべきだ」との感想を記している。
■歴史を改めて考える契機に
週末にもかかわらず、会場は満席だった。偽札の研究を数十年続けてきた小林良生氏が、第2次大戦時に日本軍が民間の製紙企業を利用して風船爆弾と偽札を開発し、米国と中国に対して使用した歴史を詳しく紹介。その後、参加者は次々に資料館を見学した。
資料館の設立は戦後日本社会の戦争責任に対する認識、反省、追及を反映している。資料館の前身は日本陸軍が1937年に設立した登戸研究所で、生物化学兵器、偽札製造などに関わっていた。最大時には1000人の職員と100余りの建築物があった。1950年に明治大学が研究所跡地を購入。1960年代には日本の著名な映画監督・北野武氏や俳優・西田敏行氏が同大在学時に学生運動に参加し、こうした戦争跡地の保存を要求した。2004年前後、明治大学の納谷広美学長(当時)が研究所の元職員から跡地の保存を求める書簡を受け取った。6年の準備を経て2010年に、細菌兵器の研究に用いられた研究所は平和教育と研究のための資料館へと生まれ変わった。
山田氏は記者に「資料館は学生らに大変良い反面教師として提供し、歴史を改めて考える契機となった。資料館がキャンパス内に開設されたことで、学生らは戦争と自分との密接な関係を身をもって感じることができる。こうした歴史を知ってこそ、客観的な思考が可能となる」と語った。