雑誌「三聯生活週刊」ではこのほど「日本風物記」と題した特集を組んで、数十ページにわたって紹介している。中国は大山大水(大きく広大な山と水)、大開大合(放縦さ)、大団圓(ハッピーエンド)といったように、大を以って美とする風習がある。一方で日本は小山、小花、小顔、小雀に「小確幸」といったように、小を以って美とする風習がある。後者は細やかさを美しさとしていることから、これが「大国の国民」である中国人が次々と日本旅行に訪れる主な心理的な原因なのかもしれない。
東野圭吾ファンのある友人は「これらの『小ささ』が時に中国人を愛おしくてたまらない気持にさせる。自分は日本にたまらなくひきつけられている」と語る。彼女は日本人作家のそうした骨の髄まで細やかな文章を読むと、本当に「小確幸」を感じることができるのだという。ここ2年ほど流行し始めたこの「小確幸」という言葉が最初に使われたのは作家の村上春樹のエッセイで、小さくても確かな幸せという意味だという。
このような角度で見てみることで、次第に自分自身に別の新しい角度から日本を観察しなければならないという考えが生じた。
中国の著名な日本語翻訳家である唐月梅教授はかつて「日本人の生息する世界は非常に小さく狭く、大陸国家のような広大な厳しい自然景観は見られず、小さな風景にしか触れることができない。そして穏やかな自然環境の中で、日本人の繊細な感覚や繊細な感情が育まれている」と評している。しかし日本の明治時代の教育家である内村鑑三は「(日本の)人々はかたつむりのような大きさの国土にひしめき合い、些細な事柄にとらわれている」とみている。
5年前の3月11日に起きた東北大地震の大津波を経験したある日本の友人は、当時心から絶望感に襲われ、島国は危険すぎるので、中国へ渡り生活しようかと考えたという。これに関し、およそ100年ほど前の日本の近代文学史上において「国民的大作家」と称されている夏目漱石は「自由と独立と己とに充ちた現代に生まれた我々(日本人)は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」と自らを憐れんでいる。