2016年5月27日  
 

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中国で一生を、ある日本人孤児の物語 (3)

人民網日本語版 2016年05月27日14:31

王林起さんの日本名は渡部宏一さん

○肉親捜し 養父の一言がきっかけ

養父母の家で過ごす年月が長くなるにつれて、宏一さんは日本語をすっかり忘れてしまっていた。1972年に中日国交が回復すると、彼が戦争孤児だと知る友人が彼の日本の生家について尋ねたことがあった。彼は幼少の頃の記憶はすでに曖昧になってしまっており、また中国の養父母の面倒を見る必要もあることを理由にきっぱりと帰国しないと答えた。

しかしそんな宏一さんの考えを変えたのが養父が生前言った「お前の故郷をとても見てみたいが、多分行くことはできないだろうな」という一言だった。1951年、養父は17歳になった宏一さんを自身の故郷である河北省景県に連れて行った。村の様子は宏一さんが覚えている日本の故郷に似ていたという。曖昧な記憶を頼りに、宏一さんは中国語で故郷の和田村の村長に一通の手紙を書いた。

2年後、再会を待ち望んでいた親戚側の準備が整い、宏一さんは親戚に会うため日本へ向かう飛行機に搭乗した。故郷の畳の上で一夜を過ごしたのはその晩のことだった。

宏一さんは日本で人々の世話になっただけでなく、日本の会社も高給を約束し、引き留めようと試みたが、彼はやはり中国への「帰国」を決めた。中国には戻ったが、その後も彼は何度も親戚に会いに訪日しているという。


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