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2世代にわたって奏でられ続ける「中日友好の調べ」 (2)

人民網日本語版 2016年11月07日11:22

2010年4月、北京の釣魚台で開かれた同窓会で、日本人の同級生たちと再会したときに撮影した写真。

1953年初め、日本の赤十字会と中国の関係者の話し合いの末、第二次世界大戦中に中国に残された残留日本人を帰国させることが決まった。同年3月、日本人同級生たちも、別れを惜しみながら、両親と共に日本へ帰っていった。長年中国で暮らしていたため、同級生たちにとって、中国は第二の故郷となり、育った中国には深い思い入れがあった。彼らは帰国後も、たくさんの同級生や学校、仲が良かった友人らと連絡を取り続けた。八一中学(中高一貫校)の50周年と60周年記念の時、安達さんと田子和さん(結婚後は池谷田鶴子さんに改名)は、休みを取って北京を訪問し、記念活動や同窓会に参加した。日本人同級生の多くは大学卒業後、親と同じ医療・衛生の仕事に携わるようになり、中日友好のために大きく貢献してきた。安達さんは、日中医学協会の常任理事長を、田子和さんは日中医学協会の理事を、それぞれ務めたことがある。彼らの努力もあり、日本が無償資金援助を提供して、中日両国の政府は大型総合現代化病院「北京中日友好病院」を建設し、84年10月23日に開業した。また、87年に中国衛生部(省)と日本日中医学協会は、毎年、中国医学界の青年医師100人を選出して日本へ送り、1年間研修、学習、研究することで合意した。安達さんと田子和さんは中日友好のためにたゆまず働き、毎年、中日両国で何度も講演を行ったり、留学生や大学院生の選抜を行ったりしている。

2世代に渡って70年以上続いてきた「中日友好の調べ」は今もその音を奏でている。中日友好がこれかからも引き継がれ、永遠に続くことを願っている。(編集KN)

「人民網日本語版」2016年11月7日


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