中国で「海帰」と呼ばれる留学帰国組のほとんどは、広々とした場所でキャリアを伸ばしたいと考えている。そのため、帰国後は一線都市で就職するというのが一般的だった。そして、深センの経済が急速に発展するにつれ、「北京・上海・広州・深セン」が一線都市の代名詞になってきた。人民日報が報じた。
しかし、一線都市は競争が日に日に熾烈になっているほか、三線都市は良い仕事が少なく、それに対して二線都市の経済は現在急速に発展しているため、二線都市にその目を向ける「海帰」が増加している。
一線都市は「しんどい」
一線都市である北京・上海・広州・深センは良い仕事が多く、発展の余地が大きいため、多くの「海帰」が帰国後、まずこれらの都市で仕事を探すことを望む。しかし、一線都市で生活したり、仕事をしたりしていると、悩みも少なくないようだ。
朱一丹さんは英国のマンチェスター大学に留学し、帰国後は北京で就職した。しかし、「北京は渋滞が激しく、数キロ進むのに何時間もかかることもある。それに、秋や冬になると、大気汚染が深刻化して最悪。このような生活の中では些細なことが仕事中の気分に影響する」と朱さん。
彭セン培さん(仮名)はフランスの国立高等技術工芸専門学校に留学し、帰国後は、北京、上海、深センで暮らしたことがあり、今は深センで働いている。北京・上海・広州・深センのような一線都市でしか就職しないのかとの質問に、彭さんは「良い仕事もポストもある」と説明。ただ、求職者がこれらの都市に集中すると、人材が飽和状態になりやすく、競争も激化する。一線都市で安定してキャリアを積むために、彭さんも一生懸命努力したものの、いろんな面で大きなストレスを感じているという。
「しんどい」というのが、一線都市で必至に働く「海帰」らの心の声だ。それが原因で、二線都市に目を向ける海帰も増えている。
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