私は、福岡から熊本に行く途中で、小さな村を通った時のことを今でも覚えている。あの日、風はなく、花や草も揺れることなく、鳥もいなかった。日本人の心にある「のどか」な感覚を、私はその時に感じることができた。そこでは、リアルな生活もあれば、超現実的な要素もあるが、中には「目の前にある景色は本物なのだろうか?」と疑いたくなるものもあった。私は日本に少しでも長く滞在してみたいと思っている。アーティストはある段階に達すると、あまり知らない生活を体験し、それを熟知し、さらにそれが自然な状態になるという時間が必要で、そのようにして初めて魂に刻みこまれる感覚を得ることができる。1990年代、暇な時期があり、私はその時、よく木を見てボーっとしたり、水槽の中の魚を眺めたりしていた。しかし、今の私は、そのような時間が全くなくなってしまった。生活における細かい部分をゆっくりと味わうという体験は、アーティストにとっては「充電」の時間となる。なぜなら、絵に込められた不穏や静けさは、形で表すものではなく、アーティストの心に蓄積されたものが描き出すからで、「蓄積」するためには、アーティストの真剣な取り組みが必要だ。
日本を旅行していて、私は「創作が一定の段階に達すると、アーティストは生活やアートに磨きをかけたり、過去の体験をまとめて再出発する必要がある」と強く感じた。私を成長させてくれた中国には厚い伝統、神秘的な水墨画、多種多彩な社会、活力に満ちたドラマや姿がある。しかし、中国の絵画の現状を見ると、アート、クオリティにおいて向上に向上を重ねるという態度に欠けている。日本の旅行を通して、私はわずかな妥協も許さず、最後まで入念にやり遂げる日本人の精神を感じることができた。このシンプルな率意こそ、私が必要としていたものだ。日本に行くことで、海を隔てて自分の民族の社会や生活を見て、過去の感覚を整理し直すことができた。外国のものを取り入れるにしても、 過去のものを今に役立てるにしても、角度を変えたり、少し距離を開けて見たりすることで、より一層容易に自分の役割や自分の文化を見つけることができる。中国は土地が広く、資源が非常に豊富で、大きく美しい川や山もある。今は物質的にも精神的にも繁栄している時代で、私たちはその背後にあるものを心で感じ、プライドを持って中国のアートと文明を表現するようにしなければならない。(編集KN)
「人民網日本語版」2016年12月14日
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