「死」とは一体何なのだろう?命は一瞬で終わるのだろうか?それとも、時間をかけて死は訪れるのだろうか?一生死のその束縛から逃れられない人もいるのだろうか?映画「人魚の眠る家」は、「死」に関する物語であると同時に、「命」に関する物語でもある。東京国際映画祭の「GALAスクリーニング作品」である「人魚の眠る家」のワールドプレミアが29日、東京六本木で開催され、堤幸彦監督のほか、主演の篠原涼子、西島秀俊、坂口健太郎らがレッドカーペットイベントに登場した。
東野圭吾の作家デビュー30周年を記念して書かれた「人魚の眠る家」を映画化した同作品は、11月6日に日本で公開される。東野圭吾は、「この作品の映画化はとても難しかったと思う。映画では小説に僕が込めたものをうまく表現されていて、監督や役者は本当にプロフェッショナルだ」と、映画化した堤監督を絶賛している。
「人魚の眠る家」と「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は、東野圭吾が手掛けた「双子作」のようなものだ。後者は、ポジティブに希望を描いているのに対して、前者は絶望の中で生と死に迫っている。「人魚の眠る家」は推理小説というよりは、生と死の境界に迫る物語といったほうがいいだろう。同作品では、ある事故が一人の人生を大きく変える。ヒロインの薫子(篠原涼子)の長女・瑞穂がプールで溺れ、医師から脳死宣告を受ける。IT系機器メーカー・ハリマテクスの社長である瑞穗の父親・和昌(西島秀俊)は、部下から、機械で横隔膜を動かして呼吸させる 横隔膜ペースメーカーがあることを教えてもらい、それを使うことにする。それを導入された瑞穗は見た目は元気な子供と何も変わらず、薫子が機器を操作すると、体を動かして挨拶をしたり、微笑んだりしているように見せることができる。しかし、すべてはうまくいっているようにも見えたが、薰子は周りの人から疑いの目も向けられるようになり、心で葛藤が始まる。脳死と判定された人を、そのような方法で生かし続ける必要があるのだろうか?それとも、早く安らかに眠らせて、臓器提供をしたほうがいいのだろうか?
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